初君歌碑 聚感園 寺泊大町 長岡市 新潟県
(前略) この碑は江戸時代後期の1710年代、初君の功徳にあやかろうと国上寺和尚万元の徒弟尼妙順・妙雪が呼びかけ、それに賛同した寺泊町の人々の勧進により卒塔婆として建てられました。初君の詠んだ 「もの思ひ越路の浦の しら浪も たちかえるならひ ありとこそ聞け」 の和歌が刻まれていますが、摩滅が進み現在は辛うじて「ひ」の文字が確認できる程度です。元々は寺泊町字坂井町の「初君旧歌碑の地」にありましたが、平成15年に為兼ゆかりのこの地に移したものです。 なお、磯町の愛宕神社境内の初君歌碑は、その100年後の19世紀初めに造られたものです。 今から7百年昔宮廷歌人藤原為兼卿が佐渡ケ島に流がされたときここ五十嵐氏に37日間船待ちされました その折お側に仕えた遊女初君との別れを惜しまれて
 
あうことをまたいつかわとゆうだすき 
 かけし誓ひを神にまかせて

と一首を初君に贈られたのであります。初君は心に秘めた願いを歌に託レて
 
ものおもひこし路の浦の白浪も 立ちかへるならいありとこそきけ
と詠みました それから五年後為兼卿はゆるされて都に帰り権大納言の位につき伏見院の信任を回復して勅撰和歌玉葉集を編集し初君の歌を旅歌の部に載せられたのでございます。 
   藤原為兼と初君の相聞歌をしのぶ会