地蔵堂願王閣 地蔵堂本町1丁目 燕市 新潟県
縁起によれば、文治3年(1187)、西行法師が当時の『せぱ村』渡し守甚兵衛に、源頼朝から拝領の黄金地蔵を木造の胎内仏として彫し、堂宇を造って祀ったのが願王閣のはじまりであり、地蔵菩薩の門前町としての地蔵堂町か誕生したという。
その後、寛正6年(1465)、宝永元年(1704)と改築修復が行われていた。特に、宝永時は住職可念が20年がかりでニ度の災禍にも屈せず、三度目に完成している。 現在の堂宇は天保8年(1837)に建て替えられたもので、工費およそ1300両、拝殿、本殿とも総欅造り、瓦屋根(但し、向拝部分は権現造り、杮葺きであったか銅板葺きに替えた)大工棟梁は高田在の曽武川清貞であった。 この天保の建て替えを祝って、地蔵堂組大庄屋、富取倉太正敬(九世)と、分家で大庄屋格の富取良助正敏(凹世、画号芳斎)の両名で奉納したのが、佐伯岸駒描くところの「金地著彩群鶴図」ニ面である。以下略