佐太天神宮 佐太中町7丁目 守口市

もり口1里 京ばし三里
この神社は、菅原道真公が左遷で太宰府へ流される途中、荘園であった当地に滞在された時、自作の木像や自画像を残されたと伝えられます。道真公の死後五十年の天暦年間(947〜957)に、道真公を簒って祠を建てられたのが当社の創建であると伝えられ、室町期には大庭庄の惣社として崇敬されるようになりました。現在の社殿は永井尚政・尚庸父子や淀屋辰五郎等の手厚い保護や支援を受けて整備され、江戸時代初期の重要な建造物と言われています。 当社には室町時代文安3年(1446)の箱書のある「天神縁起絵巻」六巻のほか、永井公より寄進をうけた狩野菜幽の十一面観音画像をはじめ後水尾上皇を中心に当時の宮廷をとりまく皇族・公卿・画家・学者・高僧等の江戸初期の美術作品が多く奉納されています。以下略  昭和63年3月  守口市教育委員会