枚方宿東見附跡・旧鵲橋西詰跡  新町1丁目 枚方市
東見附は天野川に接する枚方宿の東端で、道の両側に柵で囲われた松が植えられていました。『河内名所図会』(亨和元年-1801)には、淀・伏見方向に向かう大名行列が天野川の橋に差しかかり、見送りに出た宿役人が東見附で待ち受ける光景が描かれています。  元文2年(1737)の『岡新町村明細帳』によると、天野川には長さ17間、幅3間1尺の板橋が架かっていて、岡・岡新町両村が共同管理していましたが、修繕・架替の費用は幕府が負担していました。 紀伊徳川家は、参勤交代の際枚方宿に宿泊しましたが、天野川渡河にあたっては、既設橋の上流に専用の仮橋を架けさせました。