津城跡(入徳門) 丸の内 津市 三重県
三重県指定史跡  津 城 跡  所有者 津 市  安土桃山時代 平成17年3月25日指定
 津城は、織田信長の弟の信包によって築城された。天正8年(1580)に五層の天守閣が完成し、それまで柳山あたりにあった町屋が移されて城下町が作られた。その後、富田氏が城主となり、慶長5年(1600)関ケ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃を受け、津の町は戦火にあい、荒廃した。 慶長13年(1608)に藤堂高虎が伊予今治から移ってくると、本丸の北側を広げて石垣を高くして、両端に櫓を新築したり内堀・外堀とも整備したりするなど大改修を加えた。 そして、城を中心に北・西・南に武家屋敷を、東には町屋を置き、町外れを通っていた伊勢街道を城下町に引き入れ、町の発展に努めた。 また、城下町の東の端に堀川を掘り、船を入れて商業発展に利用するとともに、城下の外側の守りとした。また、堀,川の外側には寺院を配置し、万一の場合の防御の最前線とした。 西側の武家屋敷の西一帯は湿田で、ここに町屋を建てることを禁止:し、万一の場合と火災に備えた。
@【本丸】
 石垣が切れたところには埋門と呼ばれる門があった。周囲には丑寅三重櫓をはじめ5つの櫓があって、多門櫓と呼ばれる渡り廊下のようなものでつなかねていた。
A【西之丸】
 現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。 南西には玉櫓と外郭から入ると鍵の手に曲がった所に2階の櫓門があった。本丸との境には西の鉄門があり、土橋でつながっていた。
B【東之丸】
 現在は商工会議所や公園になっているが、かつては小さなお宮さんがあったといわれている。
C【内堀】
 本丸、西之丸、東之丸を取り囲んでいたが、順次埋めたてられて現在は本丸と西ノ丸の周りに残っているのみである。
D【二之丸】
 内堀と外堀に囲まれたところで、重臣の屋敷や藩政の中心機関があった。また周囲には12の小さな櫓が築かれ、北(京口御門)・西(伊賀口御門)・南(中島口御門)に門が設けられていた。 文政3年.(1820)には、藩校有造館(現在のNTT西日本三重支店付近)がおかれた。日本庭園の中に有造館の入徳門(市指定史跡)}が移築されている。
E【外堀】
 城の内と外を区切る堀で、岩;田川から水を取り入れていたため潮の干満で水面が上下した。現在はすべて埋められている。
津市教育委員会