離宮院跡・官舎神社 小俣町本町 伊勢市 三重県
延暦16年(西暦797年)斎王の離宮として造営され、一時は常斎宮となった。殿宇官舎は一百余におよび、その範囲は、宮川駅から本町一帯にもたる広大なものであった。この時期の南門(正門)と思われるりっばな八脚門とそれにつづく垣(塀)や建物の跡が、昭和54年の発掘調査によって見つかっている。承和6牟(西暦839年)の火災により多くの殿舎が灰じんに帰したため、常斎宮は多気にもどった。現在も残る土塁(築垣)跡はその後つくられたもので、それぞれの区画内には再び殿舎が建てられ、多少の消長を経ながら、鎌倉時代まで続いたと思われる。離宮院には、大神宮司(庁院=今の神宮司庁)がおかれており、度会の駅家(駅使院)もあったと推定される。