石橋 神戸2丁目 鈴鹿市 三重県
このあたりは以前、龍光寺の門前町であったことから寺家と呼ばれていましたが、神戸信孝(織田信長の三男)の頃、真黒川という川に「石橋」が架っていたことから石橋町とよばれるようになりました。神戸が城下町として整い始めたのは、十六世紀半ばとされています。神戸氏は城下の繁栄のため、以前は神戸の東を通っていた伊勢街道を、城下町を通過するようにしました。また、父信長にならって楽市による自由営業を認め、地子(宅地税)免除し、伝馬の制度を命じるなどして、城下の繁栄をはかりました。 この解説板の両側の支えに使われている石柱は、橋の欄干として実際に使用されていたものを再利用していますが、年代が新しいので、これが町名の由来となった欄干ではないようです。