伊勢神宮 二の鳥居 日永追分 追分1/2丁目 四日市市 三重県
道が左右に分かれているところを追分と言う。「日永の追分」は東海道と伊勢街道の分れ道である。道路が拡張される前は伊勢街道の入口に道を跨いで伊勢神宮の二の鳥居が立っていた。この鳥居は安永3年(1774)久居出身で江戸にいた渡辺六兵衛と言う人が、江戸から京都へ行くとき、ここから伊勢神宮を遥拝するようにと思って立てたものである。鳥居は皇太神宮の遷宮に合わせて、20年ごとに建て替えられることとなっていた。今の鳥居は昭和50年に建て替えられたもので、最初の鳥居から数えて第九次の鳥居となる。 また、追分は東海道53次の四日市宿と石薬師宿との間にあって「間の宿」と言われ、神宮遥拝鳥居を中心に旅籠が軒を並べ、茶店も多かった。そして、間の宿は本宿に比して割安に宿泊することが出来、旅人からは歓迎されていた。 「日永の追分」は昭和13年に三重県の史跡に指定され現在に至っている。