茶屋の道標 この街道は古くから奈良・上野方面から伊勢へつながる最短の街道で、「奈良道」と呼ぱれていました。この街道は、古くは鎌倉時代初期に奈良東大寺の大仏殿再建の中心になった「俊乗房重源」が伊勢神宮参拝のためにこの道を通った記録が残されています。また、江戸時代には日本地図を作製した「伊能忠敬」が測量のため、この地に宿泊をしています。 この道標は、花岡岩製で、三面に大きく「右さんぐう道・すぐ津道・左ならおおさか道」、残りの面に天明6年(1786)に伊賀(上野)の油仲買仲間によって建てられたことが刻まれています。建てられた場所は、奈良道と津道*の分岐点にあたり、江戸時代には旅籠があり、明治時代まで宿場として栄えていました。 管理者 稲葉町北出自治会 津市教育委員会 *津道=伊賀街道 |