愛染院の由来 一、真言宗豊山派 一、本尊 金剛愛染明王 御本尊愛染明王は、弘法大師と伝えられ、醍醐寺仕主、憲法僧正が、後鳥羽天皇の病気平癒を御修法されたところ、ただちに、御願成就し、奇端の霊光を放たれたという。 この御尊像を、鏡覚阿闍梨が、元歴年間に、この地に安置し、寺を建立、遍光山願成寺と称された。天正9年の伊賀乱の兵火にかかり、御本尊その他わづかを残すのみで、灰になった。 その後、法印実恵が寛文年間に再興、先師、岡森有章大僧正が再中興され、更に、昭和60年10月新築完成{木造瓦藁)されたものである。 一、境内には、子安弘法大師像(安産守護) 行者堂(五穀豊穣) 地蔵堂などがある。 又一隅には 故郷塚 俳聖松尾芭蕉翁家の菩提寺であるため、伊賀の門人達が翁の遺徳を偲び、遺髪を愛染院に埋め一基の墓を建立し、故郷塚と唱えたものである。芭蕉は正保元年(1644)伊賀上野赤坂町に誕生 元禄7年(1694)大阪南御堂花屋で死去(51才) 以上 上野市農人町三五四 愛染院 |