世界最短の詩型である俳句を芸術の位置に高め、世界の三大詩人の一人に数えられる松尾芭蕉(1644−1694)は、、50年の生涯の中で、記録上二度、この阿波の土地に足を踏み入れている。一度目は、上野からの新大仏寺参拝で、「丈六にかげろふ高し石の上」の句を作っている。二度目は、久居からの長野峠越えである。「わび」「さび」の文学理念の発見をした「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」をものにしている。
  
からかさに押しわけみたる柳かな  はせを
碑に彫られたこの句は、元禄7年(1694)春、江戸芭蕉庵で作られたもので、「炭俵」に収められている。 句意は、「春雨がしとしとと降っている中、唐傘をさして歩いていると、道路に榔の木があった。枝垂れた柳の梢からは美しい雫がポトリポトリと落ちている。他の木なら破れてしまうが、柔らかでしなやかな柳の木なら大丈夫だろうと、傘を半開きにとじてふと押し分けてみた。」というのである。伝承によると、芭蕉が大仏のあたりで柳を見たと門人に語ったことを知った地元の有識者が、須原大橋の川端の柳の景に風雅を感じ、大坂の花屋主人の書を得て建立したと思われるが、真意の程は不明である。大坂花屋は、芭蕉最期の地である。
 碑陰はないが、傍の道中祈願塔(自然石で高さ2m余りの道標)には、
「右なら大坂道」と彫られ、正面には「南無阿弥陀佛」と深く彫られている。台石には、「往来安全嘉永二年」と在銘があるため、句碑もおそらくその頃の建碑と考えられる。 大橋道標に似たものが、阿波・椋本線の伊賀峠から200mばかりの河内村へ下った所(峠から旧道の方の道で、途中平木越えの間道(脇道)がある)に、2m四方の高さ1m余りの石垣の基礎の上に、2m余りの自然石の道標で、正面に「南無阿弥陀佛」と彫られているものがある。年代は不詳であるが、大橋の道標と同時代のものであろうと思われる。      須原の里景観整備委員会
大橋茶屋跡 下阿波 伊賀市 三重県