里程標・常夜燈 旧平松宿 上阿波 伊賀市 三重県
里程標: 昭和12年、 「津市元標へ28km793m」      常夜燈は慶応2年(1866)建立
平松宿の沿革
俳聖松尾芭蕉が紀行「奥の細道」を大垣で終え、お伊勢参りの帰路、栃の木谷を下って伊賀路へ入って詠んだ句が、あ;の有名な「初しぐれ 猿も小蓑をほしげ也」の句であるが、その句碑から近い所に上阿波宿があり、ここで一休みして上野へ帰ったのが元禄2年(1689年)の初秋のことである。 当時、藤堂藩の伊勢と伊賀を結ぶ重要幹線道路として、また、お伊勢参りの旅人や伊勢と伊賀を往来する人々、荷物を運搬する街道としての伊賀街道に、伊賀八宿の一つに数えられた上阿波宿(元町宿)は最も重要な宿場町であった。  ところが、元禄7年(1694年)から9年(1696年)と3年連続で大火災によって上阿波宿は復興が危ぶまれ、ついに元禄9年(1696年)の10月、藤堂藩から宿場を平松村に移転するよう命ぜられ翌10年(1697年)5月、平松宿の町普請が完成したのである。僅か7か月の期間に現在に残る宿場の原形が出来たのは、不思議としか言いようがない。明治23年(1890)から明治32年(1899年)にわたり関西鉄道(現JR関西線)が全線(名古屋から湊町)開通したことによって、旅人と商人と荷物の交流がバッタリと止まり、伊勢と伊賀を結んだ伊賀八宿の最大の宿場町「平松宿」は衰退の一歩を辿ることになる。