宿場町「金沢」    (前略) 金沢の町、及ひ最寄りの町の町づくりは、 天正16年(1588)一関市地主町  慶長5年(1600)涌津町割  慶長14年(1609)金沢町割  元和2年(1616)日形町割 元和5年(1619)有壁町割  天和3年(1683)金沢新町町割 がなされました。当初、町づくりと共にどんな、役所等が置かれたのか、明確ではありませんが花泉町史掲載の陸中国西磐井郡金沢絵図によると 大肝入廨所(会所)・代官宿所・大蔵場・検断所・お札場・伝馬所・問屋場・肝入宅・八幡社・宝寺院・廨所道・丁切・上戸・宿たつみや・宿もういしや・宿大林屋・宿大門屋・小迎・そりめ・南浦等の名称がみられます。 街道の中央には堀溝が掘られ清水が絶えず流れ、馬の飲み水や防火、生活用水としても利用されました。さらに並木なども植えられて景観を保つようにも工夫されていました。  田村藩成立後[天和2年(1682)]は、領地を西岩井(一関に宮城県の有壁・片馬合を含む)・流・東山の三つの地域に分け統轄者として郡代が置かれました。  郡代−代官−大肝入−肝入・検断−組頭−農民と支配体制が整えられました。  そして、一関大町、東山北小梨と共に、金沢町に流大庄屋役所(大肝入廨所(会所))が置かれました。  また、六の日には市日か開かれ、六日、十六日、二十六日には近在の人々が集まり大変な賑わいをみせました。  尚元禄2年(1689)5月11日(陽暦6月28日)松尾芭蕉この道を通る。  寛政6年(1794)8月20日(陽暦9月13日)谷文晁この町に宿す。 の記録が残されています。 そしてまた今も、昔の面影を残す町並みと廨所道・お札場・上戸などが伝承として残されています。 平成10年9月  「宿場町 金沢」 復元整備事業推進委員会

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