元禄2年5月11日(1689・陽暦6月27日)、芭蕉は石巻を立ち、平泉へ赴こうとして、北上川沿いに登米(登米郡登米町へ至り、その夜は登米で宿泊した。そして翌12日、一ノ関へ向かったのである。(中略) 登米は、伊達家の一門、伊達式部(2万1千石)の城下町である。曾良の「旅日記」の「儀左衛門、庄左衛門」は不明であり、「宿不借」の詳細も知られていない。河東碧梧桐の六朝風の書体の「芭蕉翁一宿之跡」の碑は、もと検断屋敷跡に建てたものである。北上川の堤防工事で、屋敷跡が堤防の一角となってしまったのである。   以下略

 芭蕉翁一宿之跡碑 登米町 登米市