清河神社 上川原 清川 東田川郡 山形県
明治維新と清河八郎: 天保元年(1830年)10月10日、出羽庄内清川村斎藤豪寿の長男として生れる。18オで江戸に出て学を東条一堂に、剣を干葉周作に学び北辰一刀流兵法免許皆伝の域に達した。 25オで神田三河町に清河塾を開いた文武兼備の英士であった。その後、全国に雄飛し尊皇攘夷討幕の同志と結び、明治維新の風雲を起した主役といわれている。 文久3年(1863年)4月13日、麻布一ノ橋|こおいて幕府刺客のために暗殺され34オで生涯をとじた。
坐像:清河八郎34才文久3年2月23日 浪士組本部である京都壬生新徳寺において全員234名を招集しその前において尊王攘夷の大義について説く烈士