安寿姫と厨子王丸の供養塔 中央3丁目 上越市 新潟県
今から約920年前、陸奥岩城の国信夫郡の国守岩城判官正氏は悪人の謨言により筑紫(九州)に流されました。左遷されていた時、妻と召使いの姥竹は安寿姫(14才)と厨子王丸(12才)の二子を連れて岩城(福島)からはるばると父を尋ねて行く途中、この直江の津の應化の橋の袂で山岡大夫にだまされて母親と姥竹は佐渡の二郎に、安寿姫と厨子王丸は越中の人買、宮津の三郎に売られました。知らずにいた四人も港を出ると北と西とに漕ぎ別れていく舟にそれと気付き、子を呼ぶ母、母を呼ぶ子、その悲嘆のうちに身を投げた姥竹を土地の人々が厚く弔ってここに塔を建てました。その後、安寿姫は悲しみの余り沼に身を投げ、死んでしまいました。そこで姥竹の塔の脇に又、小さな塔を建てて弔いました。 厨子王丸が関白師寛に用いられ丹後の国守となって佐渡にいた母を迎えてこの津を上がった時、土地の人々は温情に感泣し二人の塔に供養したと言われ、それから人々の手向ける香華が今も絶えないのであります。 上越市