追分地蔵 木田新田1丁目 上越市 新潟県
高田には加賀、奥州、信州(北国)の三つの街道があつまつていた。 慶応年間に作られた木田新田三叉路にあるこの地蔵さんは「左かゝかいたう」「右いまゝちみち」と刻まれておリり、左は加賀街道といって親不知、富山を経て加賀百万石の城下町金沢へ通じ、右は今町といって今の直江津である。北国街道は直江津から黒井にまっすぐ通じていたが、高田城下町の繁栄を図る高田藩は今町にある荒川の橋を落とし柏崎、富山方面から往来する旅人を必ず高田城下に廻らせるようにした。 このためこの地蔵さんの所からでないと今町へは行けなかった。旅人の道案内と道中の無事息災を念じる守佛として親しまれ今日に至る。  新潟県・上越市