親不知 市振 糸魚川市 新潟県
親不知・子不知の由来
今から800年前の源平盛衰の昔、越後の五百刈村へ移り住んだ、池大納言平頼盛(平清盛の異母弟)の後を追って、この地をりかかった夫人が、懐の愛児を波にさらわれ、悲しみのあまりこの歌を詠みました。
 
親しらず子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく
この歌が地名の由来といわれる親不知・子不知は古来から旅人が北アルプス北端の断崖と、日本海の荒波を縫って、命がけで通行する、天下の難所といわれています。

親不知コミュニティロードより