芭蕉句碑(本敬寺) 黒井 上越市 新潟県
 さびしさや花のあたりのあすならふ
  「あすならふ」は翌檜(あすなろ)で、ひのき科の常緑高木。葉が檜に似ているところから「明日は檜になる」という意味でこの名が付けられており、「花が咲き盛っているあたりに、あすは檜になろうと思いつつ立って、年を経てゆく翌檜の姿がさびしい。」という句意と思われる。この句は、笈日記に掲載されており 特に黒井には関係がないが、奥の細道行脚の際、松尾芭蕉が黒井宿の旅龍屋伝兵衛で休んだのに因み寛政の頃、地元の俳人熊倉平十郎幸亭らによって建てられた句碑と言われている。 芭蕉は、正保元年(1644年」伊賀上野に生まれ、俳句の道を志し、二十歳の頃に初めて俳書に掲載された。寛文12年(1672年)江戸へ出て創作活動を続け、奥の細道はじめ多くの紀行を残し、元禄7年(1694年)51歳えで他界した。