人魚塚伝説之碑 雁子浜 大潟区 上越市 新潟県
「人魚は南の方の海にばかり住んでいるのではありません。北の 海にも住んでいたのです。北方の海の色は青うございましたある とき、岩の上に女の人魚があがってあたりの景色を眺めながら休んで いました。・・・・・・」  小川未明先生の「赤いローソクと人魚」の書き出しです。先生は 上越市に生れ、多くの童話を発表して「童話の父」といわれています。  この「赤いローソクと人魚」は雁子浜の人魚塚にまつわる人魚伝 説にヒントを得て、書かれたと伝えられていますが雁子浜に伝わる 人魚塚の伝説は次のようなものです。 「松林に包まれた神明様の境内、崖下には青々とした日本海の波が押 し寄せ、遠くはるかに佐渡ヶ島が横たわって、一幅の絵のように浮かん でいます。神明様の常夜灯は、年中無休で四界を照らしていました。  佐渡の美しい女は、この常夜灯の明りを目当てに雁子の浜へきまし た。そうして、米山さんの頂きがみえる頃になると、彼女は寂しくも 佐渡へ帰ってゆくのでした。雁子浜の若者は母親との二人暮らしで、 いたって素直なやさしい男でしたが、親と親の許し合った娘がいま した。若者は、あえてこの娘を嫌っていたわけではありませんが、ふ としたことから佐渡の娘を知り、毎晩神明様の常夜灯を仲立ちに相 い引きして逢う瀬を楽しんでいました。ところが、ある晩母親から一 晩くらい家にいても罰もあたらないと強いて止められるので、止むな く若者は家にいました。もちろん彼女との約束の常夜灯には明りをつ けませんてした。一夜は明けて神明様の崖下の磯ばたに一人の女の 屍体がありました。長い黒髪は乱れ、顔は白ろうのように白く、恨み の影が一面にただよっていました。村人のさわぐ声に驚いた若者は もしやとばかりに恐る恐る近寄ってみますと、まさしく佐渡の娘でした。 後悔と自責の念に放心したような若者は、遂に佐渡の娘の後を追っ て、海に身を投げてしまいました。この純情可れんのに二人に同情した 村人は、常夜灯の近くに埋葬して比翼塚を建てねんごろに弔ってや ったといいます。誰が名をつけたのか、この比翼塚を人魚塚と伝えて います。 平成4年12月    新潟県大潟町