陣屋跡 大久保2丁目 柏崎市 新潟県
 寛保元(1741)年、高田藩主松平定賢(久松松平家)が奥州の白河藩へ移封されたとき、飛び地領である刈羽、三島、魚沼、蒲原、岩船の5郡(8万余石)を支配するため、越後領の総支配所として新たに柏崎市大久保の高台の地に築造されました。久松松平家は、その後に紀州桑名へ移封されますが、この飛び地領はそのまま桑名藩が支配を続け、幕末までの約126年間この陣屋は存続しました。 天保8(1837)年の絵図によると、東西180mx南北160m、約9000坪の広さを持ち、2段の地形を利用して築造され、その内部には、自藩領を支配する御役所、天領を預かる御預役所、各郡代官の詰める刈羽会所などの諸役所、また郡代を筆頭に50人余の役人とその家族の居住する長屋などがありました。ほかにも学問所、火術細工所、馬場、弓術場、稲荷社等がありました。明治4(1871)年、陣屋は柏崎県庁となり、明治6(1873)年6月新潟県に編入され、その役割を閉じました。 また同じ頃、学校制度が新設されたことにより、新潟県内3か所に行政庁直轄の県立学校が開校され、柏崎学校は下長屋跡地に新設されました。