御用小路(金銀小路) 出雲崎町尼瀬 三島郡 新潟県
慶長3年(1598)大久保石見守が佐渡奉行として、当町に駐在し佐渡鉱山の開発に努めた。鶴子銀山につづいて6年に相川銀山と大量の金銀が産出された。これはすべて塊として一箱13貫(49kg)とし100箱200箱と小木港より年何回となく出雲崎港に陸揚げされて、ここより車馬に積替えられ「御用」の札を立てて大名行列以上に華やかに、この小路より出発し信濃路を経て江戸幕府に上納された。  出雲町