判官地蔵 寺泊田ノ尻 長岡市 新潟県
文治3年(1187)、奥州平泉を目指して落ち行く義経主従は直江津から船に乗り、 この地漂着した。この堂は円福寺の前身の西向庵にあったと云われている。 里人は一行の身の上を憐れんで地蔵を祈り、九郎判官義経に因んで判官地蔵と呼んだ。 主従は町の長五十嵐家(大町現聚感園)でしばらく休息し、奥州へ落ちのびたと云う。  寺泊町