源平合戦に破れ九州に落ちた平景清は、故郷の奥州平沢村へ形見の観音像と愛馬を送ろうと家臣に託しました。しかし、同じ地名のここ平沢で愛馬が倒れたため、家臣はこれも何かの有縁と馬をここに埋葬し、庵を建て観音像を祀ったことが景清寺の始まりといわれています。近くには、「平等の 利益に漏れる しるしおば 汲む人ぞ知る ひらさわの水 」と巡礼歌にもある平沢清水が湧き出ています。大悲山景清寺は越後三十三観音第24番札所です。
大悲山景清寺 平沢 西蒲区 新潟市 新潟県