高田屋喜兵衛造船所跡地(喜兵衛資料館) 末広町 函館市 北海道
江戸時代末期の豪商、回漕業者、高田屋嘉兵衛は明和6年(1769)淡路島に生れた。28才のとき、北前船「辰悦丸」で箱館(函館)に来航、以後、箱館を本拠地として北洋漁業の開拓、本州各地との交易の発展に尽力した。 幕府はその功績を認め寛政12年(1800年)嘉兵喜兵衛に苗字帯刀を許した。 当時の寒村箱館が港として発展できたのは嘉兵衛の力によるところが大きい。 更に嘉兵衛は、いわゆるゴローニン事件解決の立役者であった。1811年ロシアの海軍将官ゴローニンが北方領土侵犯の疑いにより捕えられたとき、ロシアは報'復としてエトロフ島回航中の嘉兵衛を捕え投獄した。 嘉兵衛は少しも臆せす、国土劫掠の非を難じ、両国融和の道を説いた。 ロシアは嘉兵衛の勇気に感服し謝罪した。 嘉兵衛は箱館奉行に懇請しゴローニンを釈放させ、以後両国の平和友好が促進された。幕府は円満解決の功績を称え賞詞を与えた。 文政10年(1827年)波乱とロマンにみちた59才の生涯を閉じた。