橘神社 三ヶ日町本坂 浜松市北区 静岡県
この神社は平安時代の初期三筆の一人として著名な橘逸勢を祀った神社である。 中央の立石が逸勢の墓、西側の祠が逸勢を祀る神社、東側は逸勢の女炒冲尼の孝行を称えた施孝碑である。文徳実録に依れば逸勢は承和9年(842)伴健岑等と皇太子恒貞親王を奉じて叛を謀ったとのことで伊豆に配流の途次遠江国板築駅に於て病歿其の地に埋葬したと、強いて随行した妙冲尼は墓畔に庵を結び父の冥福を祈った。嘉祥3年(850)帰葬にあたり代りに埋めた銅鏡は江戸末期に盗難に遭ったが、庄屋竹平氏により捜索漸く発見された。然し大正末年再び紛失今に不明である。 浜松市教育委員会    
写真下段は「伊都内親王願文」碑