追分一里塚跡 葵東2丁目 浜松市中区 静岡県
わが国の一里塚は、織田信長が一里を36町と定め、街道の一里ごとに塚を築き、その上に榎または松を植えて目印にしたのがにはじまり、その後江戸時代に至ってさらにこれを整備して、旅行者の便としたものである。この追分一里塚は東海道の脇道として本坂道(俗に姫街道)のもので、小池一里塚に次ぎ、日本橋より距離66里(約264km)こ位置し、現状は円形の築土および松樹数本がある。 昭和34年6月18日 市指定史跡  浜松市教育委員会