芭蕉が門人曽良を供に元禄2年5月16日(旧暦3月27日)江戸を旅立ちし、6月29日平泉で藤原三代の盛衰に涙し、一ノ関に再泊、翌30日一ノ関から上街道を岩出山へ向かった。岩ケ崎を経て真板への途中、ここ志登ケ森の頂上に着いた二人は、松の枝に衣を掛け、汗ばんだ肌に風を受けてしばし休息した。 松の根元の碑は昭和18年、芭蕉250年祭に建立したものである。南面に「芭蕉衣掛の松 通敬無一道人」 北面に「芭蕉は平泉の古跡を探りて道すがら5月14日(旧暦)ここに立ち寄りてこの松の樹に衣を掛けて息いければ芭蕉衣掛の松とぞ称しける」と彫られてある。 ここは昔、藩主の領内巡視の「お遠見場」で北に束稲山、東に石越観音、西から南に栗駒山、花渕山、舟形山、築館薬師山、涌谷箟岳山が望見される眺望絶佳の地である。 惜しい事に衣掛の松は先年虫害に倒れ、平成4年に二代目の松が移植された。 平成4年11月  一迫町教育委員会 栗駒町教育委員会 宮城県文化財保護協会
 芭蕉衣掛けの松 西原 片子沢 栗駒 栗原市 宮城県