義経北行の旅案内板について
この地方には、源九郎判官義経が平泉を脱出し、北へ向かったという語り伝えがあり、八戸市内にも義経の北行にまつわる伝説を裏づける多くの地名や品々が残っている。これらの紹介が歴史ロマン散策の資となることを願って市内伝説の足跡16ヶ所に案内板を設置した。

三八城山と弁慶石
義経が、高館の御所から見渡して、馬淵川の東の野原を京ヶ原と名付け、また京ヶ原の北の州先を京ヶ崎と命名したのが、今の三八城山である。足下のこの大きな石は、弁慶石と呼ぱれ、昔は境内南側のコブシの木のあたりに置かれていたという。石のところところが、人間の大きな足型のようにくぼんでいるのが、力自慢の弁慶が岩にしるした足型だといわれている。  社団法人八戸観光協会
弁慶石 内丸1丁目 八戸市 青森県