一重寄棟造りの茅葺で桁行24.755m、梁間9.999m、平面積269。18u(約81坪)の大型民家である。山形県東北部に、江戸時代から見られた広間型民家の代表例として、重要文化財に指定された最上町の建造物。この住宅は創建後、300年以上は経っていると推定されており、江戸時代には、新庄領上小国郷堺田村の世襲庄屋・有路家の住宅兼役屋(当時の村役場)であった。昭和46〜48年の解体復元工事によって、創建当時そのままの姿が現在に伝えられている。住宅内部は床の間、いりの座敷、中座敷、ご座敷、納戸の5部屋と水屋、土間(内庭)、ろうじ及び内馬屋に分かれている。建物の大きさ、3つもある出入り口、畳敷きで天井のある床の間といりの座敷、3つの内馬屋と広い内庭などが、庄屋役の外に問屋と旅宿の機能も兼ね、熱心な馬産家でもあった有路家の歴史上の多様な役割を物語っている。通称の「封人の家」とは、国境を守る役人の家という意味であるが、この名称は俳聖松尾芭蕉の『おくの細道』に由来する。元禄2年(1689)5月15日(太陽暦7月1日)、門人の曽良を伴い仙台領を抜けた芭蕉は、その夕暮れ時に堺田村にたどりついた。芭蕉師弟は、梅雨時の風雨のために、その晩から2泊3日にわたって「封人の家」に逗留した。そのゆかりの宿がこの住宅である。芭蕉は「封人の家」に滞在中、「蚤虱馬の尿する枕もと」という句を詠んだ。この句には、この住宅の構造そのものと、かって馬産地であった最上町の歴史的地域性が読み込まれている。  昭和61年10月  山形県最上町
封人の家(旧有路家住宅) 堺田 最上町 最上郡 山形県