佐藤尚中(山口舜海)誕生地 小見川 香取市 千葉県
千葉県指定史跡 佐藤尚中(山口舜海)誕生地 
昭和12年3月19日指定     小見川450−1番地
 この場所は、小見川藩主内田侯の待医であった山口甫僊の旧宅跡です。佐藤尚中(たかなか)は父甫僊・母エンの次男として、文政10(1827)年に生まれました。(中略) 明治2(1869)年には西洋医学所が改まった大学東校(後、東京大学医学部)の主宰として迎えられ、大学大丞大博士大典医(大学総長とも申すべき大学大丞となり、明治天皇の侍医頭にあたる大典医ともなられ、加えて日本で唯一の大博士)となりました。 明治6(1873)年には、すべての官職を辞して野に下り、民間人の病院である東京順天堂(現、順天堂大学)を建て、医学界に多大な功績を残したが、明治15(1882)年7月23日に他界した。(後略)  平成16年3月 香取市教育委員会