松翁院 竹岡 富津市 千葉県
庚申塔 この庚申塔は、市内では最古のものであり、県内でも数番目に古いものである。塔身高1m37cmの一石造リで、中央に蓮台に乗って合掌する仏の立像を、その下部に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿を彫り出し、その下に蓮弁の台座を彫リ、その下が基壇となっている。 仏像の右側には、「告龍集承応二年癸己六月廿五日」左側には「上総国天羽郡百首村敬白」の文字が陰刻され、基壇正面iには「本願主」とレて、16人の連名が刻まれている。時まさに星宿るは承応2年(1653)癸巳(みずのとみ)の6月25日、百首村(旧竹岡村)の庚申講16名が本願をかけ、建立したものである。
 仏像の頭部や三猿の手足の一部が欠損レているのは残念であるが、当地方の民間信仰や造塔技術を知る上で、貴重な文化遺産である。
  庚申信仰について  中国の道教では、人間の体内には三尸(さんし)という三種の虫がいて、その人を監視しているとされる。庚申(かのえさる)の晩に人の寝静まるのを待って、脱け出レて天帝にその人の罪過を告げ、罪状によっては様々な禍を与えられるから、庚申の夜は身を慎んで徹夜をせよと説いた。 そこで、三尸が天に昇れないようにするため、この夜は人々が集って神々を祀り、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。
 奈良時代の末頃から詩歌管弦の宴として宮廷を中心に始まったこの庚申信仰の行事は、室町時代に仏教的になり、江戸時代に入ってからは修験道や神道とも習合し、地域によっては農耕神や塞ぎの神の信仰とも合わせながら、近隣の庚申請の人々による庚申待ちの風習として民衆にも広まった。 庚申塔の多くは、庚申請を3年18回続けた記念に建立された。   平成18年3月31日    富津市教育委員会