犬掛古戦場跡 犬掛 南房総市 千葉県
古戦場と里見氏の墓
古戦場と呼ばれているこの地は、天文3年(1534)里見義堯・義豊両軍の合戦の場である。両軍とも血族同士であるが負けじと激戦を展開した。ニつの墓は里見義通・義豊のものでもとは大雲院(廃寺)にあったが、明治42年(1909)に、ここに移された。墓は室町時代の多層塔である。 南房総市教育委員会
里見氏の犬掛合戦を今に伝えるしるしが古戦場跡の碑です。この合戦は里見家第五代の義豊と従兄弟の義堯(よしたか)との血族同士の争いでした。義豊は8歳の時、父義通を喪いましたので、叔父の実堯(義堯の父)が後見役となりました。しかし時節が到来しても実堯は国を譲らず、それを義豊は恨みとして、天文2年(1533)実堯を稲村城に急襲、実堯はこれを防ぎ得ず自害しました。翌天文3年(1534)4月6日、実堯の子義堯は、父の仇である義豊を犬掛に攻め、義豊も実堯と同じく自害して果てました。まことに「因果はめぐる」のたとえ通り、犬掛の合戦は一場の哀しいドラマだったといえましょう。  平成3年3月  南房総市教育委員会