菱川師宣生誕の地碑 保田 鋸南町 安房郡 千葉県


見返り美人
浮世絵の祖・菱川師宣は、安房国保田村で縫箔刺繍を業とする菱川吉左衛門の長男として生まれました。俗称は吉兵衛。晩年は剃髪して友竹と号しました。生年は不詳ですが、寛永中頃(1630年頃)と推定されています。父のもとで家業の縫箔の修業をするかたわら、幼い頃から画技を好んだ師宣は、のちに江戸に出て、版本の挿絵師として名を高め、延宝〜元禄初期(1673〜1694)にかけて活躍。当時一部の人々の間でしか鑑賞できず、また高価だった絵画を、木版画により広く庶民に普及させた功績は高く評価されます。 また、庶民風俗を題材とした新しい絵画様式「浮世絵」を確立。師宣の描く美人画は、当時「菱川ようの吾妻おもかげ」と世にもてはやされました。江戸で大成した師宣ですが、終生故郷房州を愛し、落款に「房陽」「房国」と冠称し、晩年には保田の別願院に梵鐘を寄進しています。 元禄7年(1694)6月4日、江戸で没しました。昭和33年3月23日 鋸南町教育委員会