菱川師宣の墓所(別願院) 保田 鋸南町 安房郡 千葉県
浄土宗林海山別願院は、通称浜の寺と言い、元和5年(1619)本郷村保田町の住人が霊巌上人に願って造立されたと伝わります。この地区では半檀家制と言い、檀那寺は他寺であっても、墓はここに置く風習がありました。菱川家もその例です。菱川師宣は元禄7年(1694)5月、親族の追善供養のため、別願院に梵鐘を寄進しました。残念ながらその梵鐘は、太平洋戦争の際、供出させられましたが、鐘楼跡の基壇は残っています。菱川師宣の忌日は長い間不明でしたが、妹オカマの嫁ぎ先である勝善寺(南房総市二部)、江戸での葬儀が行われた浅草誓願寺の支院徳寿院(現在は多摩霊園前に移転)、保田の菱川家の菩提寺である昌龍寺(鋸南町保田)など関係寺院の過去帳の発見により、元禄7年6月4日、戒名「勝誉即友居士」と判明しました。江戸で没した師宣は、おそらく終生愛し続けた故郷保田の別願院に遺骨が移され、墓石が建てられたと思われますが、死後9年後に起こった元禄の大地震、大津波により房総沿岸は大打撃を受け、別願院も流失、当時の記録も墓石も失われてしまったと考えられています。現在の墓石は、白御影石の墓碑は昭和2年、東京の井上書店主らによって建てられ、中央の仏像型の墓碑は平成5年、師宣300回忌に子孫の菱川岩吉氏らによって建てられたものです。鋸南町教育委員会