この森は大勒天宮の境内であり、塚もこの内にある。寛文8申年4月18日(1668)に書かれた奈良輪村絵図にこの塚の一本松と卒土神社のしめ張の松との見通しが、奈良輪村と蔵波村の浦境とされている。昭和20年8月、第二次大戦終わって間もなく、旧奈良輪村と蔵波村との間で浦境の問題が起きたとき、この絵図によって東海区海区調整委員会が、認定し海の境が確定された。  平成10年5月吉日
おふごのもり長見塚 奈良輪 袖ケ浦市 千葉県