上総国分尼寺跡 国分寺台中央3丁目 市原市 千葉県
復元中門について
中門は、国分尼寺の本尊を祀る仏のための空間である金堂院の南正面の門です。特別な行事の時だけ使われ、ふだんは閉じられてぃました。 中門跡につぃては、昭和43年度の調査で位置が確認され、昭和63年度の調査で、規模・構造・変遷が明らかになりました。復元にあたっては、発掘調査の結果をもとに、現在残っている法隆寺東大門、東大寺転害門、唐招提寺金堂、海竜王寺西金堂などの奈良時代の建築遺構を参考にして設計し建築史の専門家の指導を受けながら厳密に行いました。  復元では、まず旧表土の上に50cm盛土し、盛土内に鉄筋コンクリートのべた基礎を設け、遺構の保護と復元建物の安全を図りました。 基壇は上面に甎を敷きつめた瓦積み基壇とし、礎石は 蛇紋岩自然石としました。木材には、性質が良くて加工しやすく、強度や耐久性にも優れたいわゆる木曽檜を選びました。ただし、柱から上の重みがかかる大斗にはかたい欅を、軒先の垂木や足元の地覆には水に強いヒバを用いました。  瓦の文様は出土瓦にならい、屋根だけで5600枚あまり使い、重さは17トン近くに達します。木部の表面はヤリガンナで仕上げ、主要部には紅柄を塗り、木端には黄土、金剛柵には緑青を塗りました。壁は漆喰を塗って仕上げています。 復元中門は、部材がおおがらで、単純で力強い構造的な美しさが特色です。