羽衣の松 長洲1丁目 中央区 千葉市 千葉県
羽衣の松(由来)
 むかし、千葉の亥鼻城下に千葉(せんよう)の蓮の花の咲きほこる池田の池という美しい池があり、その周辺は蓮の花盛りのころには、多くの見物人でにぎわっていた。いつのころからか静まりかえった夜半になると。ここに天女が舞い降り、かたわらの松の枝に羽衣を掛け、蓮の花の美しさに見入っていたと^いう。 この天女のうわさは、時の城主平常将の知るところとなり、常将は、美しい天女をぜひ自分の妻にしたいと思い、家来に松に掛けられている羽衣を隠すように命じた。羽衣を失った天女は天に帰ることができず、常将の妻となり、やがてりっぱな男の子を生んだという。 このはなしは、京の天皇のお耳にも達し、天皇の命により参内した常将がそれまでの事情をありのままに申し上げたところ、天皇は深く感銘され「これは前代未聞のことであるので、其方の地を千葉の蓮の花にあやかってこれから千葉と名乗れ」と仰せられた。常将はこの時から千葉氏を称したという (「妙見実録千葉記」等の記載による)
 この羽衣公園は、このような伝説を秘め、県民の憩いの場として親しまれてきた。 伝説中の池田の池は、この付近にあったといわれ、天女が羽衣を掛けたという松は、この後、長い間、濃いみどりを失わず、人々は千葉八景の一つとして大切に愛護して来た。 このたび、千葉県の人口500万人突破の、記念事業の一環としてここに羽衣の松を復元し、末長く後世に伝えることにした。 昭和六十年三月  千葉県