白虎隊墓 飯盛山 会津若松
正面の墓は、明治元年(1868)の戊辰戦争において飯盛山で自刃した19士の墓ですです。8月23日(新暦10月8日)自刃した隊士の遺骸は、西軍により手をつけることを禁じられていました。約3ヶ月後村人により、密かにこの近くの妙国寺に運ばれ仮埋葬され、後この自刃地に改葬されました。現在の形に19士の墓が建てられたのは明治23年で、二度にわたり墓域が拡張されました。右側の墓は、会津の各地で戦い、亡くなった白虎隊士31名の墓です。左側の碑は白虎隊士と同じ年齢で県内各地及び新潟・栃木・京都で戦い、戦死した会津藩少年武士(白虎隊の仲間達)の慰霊碑です。