今から約900年前の出来事です。鎌倉時代(建久年)源頼朝の命を受け伊沢家景が奥羽総奉行として鎌倉より東北に向かう途中白沢稚児ヶ坂(高崎製紙工場西側)で子供が病気になり亡くなりました。その子をこの地に葬り地蔵堂と石塔を建てました。それから900年もの間、この地蔵堂は白澤南自治会(昔は上岡本村)の人々によって守られてきました。 |
江戸時代に整備された五街道の一つである奥州街道の第一宿としておかれたのが白沢宿でした。宇都宮で日光街道と分かれ、白沢宿から白河宿まで23里(約90キロ)が10宿で構成されました。16世紀以前は純農村でしたが、宿のルーツは関が原の戦いの序曲になった徳川家康の上杉攻めにさかのぼります。すなわち徳川家が鬼怒川を渡るとき、その案内役をかって出たのが、白沢村庄屋の宇加地家と上岡本村庄屋の福田家でした。その功績が認められ戦いの後両村共同で白沢宿という名で往還宿を構成することが許され、慶長14年(1609)には、町割も完成し両家は御用を勤め問屋になっています。天保14年(1843)には本陣1、脇本陣1、旅籠屋13軒を数えていました。白沢宿は江戸から明治になっても、大いに栄えました。明治18年奥州街道が現在の国道4号線に移り、おかげで現在の宿のおもかげを今にとどめています。白沢宿がしのばれる由緒ある家並みを保存していくため、むらづくり事業を契機に、用水掘りに鯉を放流し環境美化に努め、後世にその歴史を伝えていきたいと思います。 昭和62年3月吉日 白沢宿保存会 |
全国数万とある踏切りで、遮断機の上がった青信号を信用して、一時停止せずに渡って電車にぶつかった事故は聞いたことがない。恐いのは停止直後のエンストだ。特に田舎の踏切りは見通しがよくて左右1km向こうの様子までわかる。電車の姿も見えないのになぜ、止まらなければならないのか。踏切りのむこうの草陰からやおら警官が出てきて反則切符を切る。このばかげた規則による国家的経済損失はxx億円である。アメリカでもドイツでもこんなルールはない。そのために踏切り事故が多いという統計もない。アメリカ人にできて日本人にできないことはないはずだ。 |
街かど図鑑 栃木・大田原 栃木県北部の大田原市に、様々な果物のワインを造っている酒造会社がある。清酒「鳳鸞」の鳳鸞酒造(脇村光彦社長)だ。12月には7種類目となる巨峰のロゼワインを発売する。ワイン造りは需要が減退している本業の清酒を補うために始めたが、個性的な味が人気を呼んで、ワイン部門の売り上げは年7−8%伸びているという。巨峰のロゼワインは栃木県大平町産の巨峰を幅広く売り込むことを目指している。鳳鸞酒造は今年は4000本(1本=720ml)を製造・販売する。来年以降も続ける考えだ。ワイン製造を始めたのは2000年。大田原市の本社に「那須の原ワイナリー」というワイン醸造所を併設した。まず、一般的なブドウの赤、白、ロゼと県産イチゴのワインを製造。その後、ブルーベリー、ナシ、と種類を拡大してきた。ナシは現在県産100%で、ブルーベリーは県産と輸入品を利用している。主として栃木県内の百貨店、スーパーなどで販売している。オープン価格で実勢は1本1500−1800円が中心とみられる。(2004年11月29日日経新聞より) |