近江八景の一つ堅田の落雁として有名な堅田の浮御堂は、びわ湖の最狭部に位置し、海門山満月寺と称する禅寺で京都紫野大徳寺に属する。昔一条天皇の長徳年間(九九五年頃)比叡山横川恵心院に住した源信(恵心)僧都が、びわ湖を山上より眺め湖中に一宇を建立して自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し湖上通船の安全と衆生済度を発願したに始まる。(中略)現在の浮御堂は昭和十二年の再建で「阿弥陀仏一千体」を安置して「千体仏」と称している。(中略)風景絶佳の地点で風花雪月それぞれの趣があり、境内の老松も閑寂な寺域にふさわしい。(後略) |
天智天皇が都を大津に移す時大和三輪山の地主神を勧請してこの地にまつった。最澄の死後、延暦寺の繁昌とともに神の数も増え、いつのころかに豊前宇佐八幡宮から八幡神が勧請され日 吉大社に奉られるようになった。多くの神を総称して山王大権現とよんでいたが明治の神仏分離により今の日吉大社とよぶようになった。全国に3800余りある日吉神社の総本宮である。平安末期、叡山の僧兵が日吉山王大権現の神輿をかついでは大挙京にくだり宮廷に強訴を繰り返した。『平家物語』にも登場してくるその神輿が安置されている。 |
(前略)藤太は承平年間(931―38)、瀬田橋を渡ろうとしたとき、百足の害で 困っていた老翁(竜神)の願いを聞きいれ、瀬田橋から三上山に住む大百足を、弓で見事に退治した(後略) |