資料1 千里に旅立て、路粮を包まず。「三更月下無何に入」と云けむ昔の人の杖にすがりて、貞亨甲子秋八月、江上の破屋を出づる程、風の声そぞろ寒気也。 野ざらしを心に風のしむ身かな 秋十年却て江戸を指す故郷 |
資料2 関越ゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 何某千里と云けるは、此度道の助けとなりて、万いたはり、心を尽し侍る。常に莫逆の交深く、朋友信有哉、此人。 深川や芭蕉を富士に預行 千里 |
資料3 富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の、哀気に泣有。この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露計の命待間と捨て置けむ。 小萩がもとの秋の風、今宵や散るらん、明日や萎れんと、袂より喰物投げて通るに、 猿を聞人捨子に秋の風いかに いかにぞや、汝父に悪まれたる歟(か)、母に疎まれたるか。父は汝を悪むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。唯これ天にして、汝が性の拙きを泣け。 |
資料4 大井川越る日は終日雨降ければ、 秋の日の雨江戸に指折らん大井川 千里 馬上吟 道のべの木槿は馬に食はれけり |
川をわたると金谷宿である。駅のすぐ裏手の長光寺に芭蕉の句碑がある。
道のべの木槿は馬に食はれけり
「意識・心情の深さから、平凡な事柄に深遠な悟りにも似た禅機的心象を感じる」と難しい解説文があった。それほど深刻に考えなくても。
ムクゲの花は一日で落ちる。何をしなくても突然ポトリと落ちるのだ。なおこの句の原型となった句が久居で詠まれている。延宝4年(1676)6月、二回目の帰郷の折に久居で詠んだ句で、「道のべ」でなく、「道ばた」であった。つまりムクゲの一句は野ざらし紀行でのオリジナルでなくて、たまたまここに挿入した。あるいはたまたまムクゲを見て8年前の一句を思い出した。ムクゲの花は日本どこでも見られるためこの句碑は各地にある。
道端の木槿は馬に喰われけり
ここから箱根、鈴鹿峠についで東海道三大難所と言われた中山峠を越える。
資料5 廿日余の月かすかに見えて、山の根際いと暗きに、馬上に鞭をたれて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に至りて忽驚。 馬に寝て残夢月遠し茶の煙 |
今回は急ぎの旅であるので直接ここから伊勢湾を渡ることにする。なお芭蕉は元禄7年5月25日最後の帰省の際、佐屋御殿番役の山田庄左衛門氏の亭に泊まっている。そのときの句が刻まれた句碑が水鶏(くいな)塚として建っている。
水鶏鳴と 人の云えばや 佐屋泊 はせを
資料6 松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとどむ。 腰間に寸鉄を帯びず、襟に一嚢をかけて、手に十八の玉を携ふ。僧に似て塵有、俗に似て髪なし。 我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事を許さず。 暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表の陰ほの暗く、御燈処々に見えて、また上もなき峰の松風身にしむ計深き心を起して、 三十日月なし千年の杉を抱あらし 西行谷の麓に流有。をんなどもの芋あらふを見るに、 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ 其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、てふと云けるをんな、「あが名に発句せよ」と云て、白ききぬ出しけるに、書付侍る。 蘭の香やてふの翅(つばさ)にたき物す 閑人の茅舎をとひて 蔦植て竹四五本のあらし哉 |
資料7 長月の初、古郷に歸りて、北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、はらからの鬢白く、眉皺寄て、只命有てとのみ云て言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、母の白髪おがめよ、浦島の子が玉手箱、汝がまゆもやゝ老たりと、しばらくなきて、 手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜 |
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