史蹟追分一里塚 慶長九年徳川家康の命により江戸を起点として主要街道へ一里毎に一里塚が築造された。この中仙道にも一里毎に街道の左右に一里塚ができて、旅人往来の道標としての重要な使命を果たしたのであった。今はこの街道の塚も大方崩壊してしまったが、この追分一里塚はよくその原型を遺して当時をしのぶ事ができる珍重すべきものである。 |
逢坂の 関に清水の 影見えて いまや引くらん 望月の駒 | 紀貫之 | |
望月の 駒ひきわたす 音すなり 瀬田の長道 橋もとどろに | 平兼盛 | |
相坂の 関のむら杉 葉をしげみ 絶間にみゆる 望月の駒 | 源国信 |