徳川家康公江戸開府に際し御伝馬役支配であった馬込勘解由が名主としてこの地に住し以後大伝馬町と称された。 |
江戸名所図絵や広重の錦絵に画かれて著名なこの地は将軍御成道として繁華な本街道であり木綿問屋が軒を連ねて殷賑を極めた。 |
「浅草寺縁起」によれば、推古天皇36年(628)、檜前浜成、竹成兄弟が江戸浦(隅田川)で漁をしているとき、投網の中に1体の仏像を発見した。これを持ち帰って土地の名士であった土師中知に見てもらったところ、聖観世音菩薩の尊像であることがわかり、土師中知は自ら浅草寺にそれをお祀りした。浅草神社(「三社権現社」)はその3人を祀る。 |