旧三国街道猿沢の下り 十月廿三日 うす闇の残ってゐる午前五時、昨夜の草鞋のまだ湿ってゐるのを穿きしめてその渓間の湯の宿を立ち出でた。峰々の上に冴えてゐる空の光にも土地の高みが感ぜられて、自づと肌寒い。 中略 吹路の急坂にかかった時であった。十二三から廿歳までの間の若い女たちが、三人五人と組を作つて登って来るのに出合った。真先の一人だけが眼明で、あとはみな盲目である。そして、各自に大きな紺の風呂敷包を背負つてゐる。訊けばこれが有名な越後の瞽女(ごぜ)である相だ。収穫前の一寸した農閑期を狙って稼ぎに出て来て、雪の来る少し前に斯うして帰ってゆくのだといふ。「法師泊まりでせうから、これが昨夜だったら三味や唄が聞かれたのでしたがね。」とM君が笑った。それを聞きながら私はフッと或る事を思ひついたが、ひそかに苦笑して黙ってしまった。宿屋で聞かうよりこのまゝこの山路で呼びとめて彼等に唄はせて見たかった。 後略 この紀行文は大正11年10月23日若山牧水が法師温泉に宿泊した後、猿ヶ京温泉で昼食し、沼田への帰路を綴った「みなかみ紀行」の一節である。昔の風情がそのまま残る旧三国街道猿沢の小径を散策してみて下さい。 |