旅の悩み(モルモン教と一夫多妻制)

私は旅が好きだ。趣味の一つに数えるだけの興味と実績もあるつもりである。しかし内心じくじたるものがあることも否定できない。いつも衝動的にでかけて写真を撮って資料を持ち帰ってそれですべてを終えた気になっているからである。文筆家の紀行文や旅の随筆を読むたびに私の旅は何だったのかという虚無感におそわれる。うわべの美観や情緒の印象だけしか残っていないからである。これではグルメ番組で若いタレントが「うん。おいしい、これはおいしい。うん」と繰り返すのと同じではないか。

それでも、例えば富士山やグランドキャニオン等は、これを見て「うつくしい、これはすごい」というだけでもいいのであろうと思う。何万年あるいは何億年前の地質学的な形成過程を知ったからといって私の感動にたいした付加価値をあたえないであろうし、岩の種類を教えられてそれで私の見方が変わるわけでもない。また近江八景や琵琶湖八景はその情緒を味わうだけでいいと思う。風情を分析して理屈をこねる所ではない。

ところが人間の歴史や芸術に関わる所となるとそう簡単には割り切れなくなる。8週間ヨーローッパ旅行の大半がそうであった。フランス革命を詳しく知らずにパリを見物した時の戸惑いがそうであったし、シェイクスピアを読まずに行ったストラトフォードもそうである。ただ美しいイギリスのカントリーの風景を見ただけであった。フィレンチェでのルネッサンス美術やメディチの話、デルフィでのギリシャ神話、ベルリンでのナチスや第二次大戦など、知識のあいまいな観光は数多かった。受験勉強で内容も知らずに、歴史の出来事の見出しと年代だけを暗記したときの空しさに似ている。それでも学生時代の皮相な知識は全く役立たなかったわけではない。知らなかったよりもよかったと思っている。

それが宗教となるとお手上げに近い。宗教の名前だけしか知らない。バチカンを訪ねたとき、そこはカソリックの総本山だと言われて、そのくらい私でも知っていると思ったものだが、実はそれだけしか知らなかったのだ。大きな聖堂とミケランジェロの絵を見ただけで、写真撮影という最小限の欲求も満たされずに不完全燃焼に終ったことを忘れることができない。

ソールトレイク・シティで再びその悩みに直面した。そこはモルモン教の総本山である。バチカンに比べれば建物も内部もたいしたことはない。20分あれば観光としては充分であった。私は信仰のための宗教には興味ない。しかし好奇心の対象としての宗教には大いに関心がある。その意味ではカソリックよりもモルモン教の方が好奇心を煽る。いうまでもなくその焦点は一夫多妻制にある。15年も前に立ち寄ったところで、今更という感じがしないでもないが、たまたまフィナンシャル・タイムズのウィークエンド版(2000年10月28日)に特集が載っていたので、モルモン教について調べてみることにした。

一夫多妻制の現状

その新聞記事の内容は次のようなものであった。


1年前、ザイオン国立公園の南、ユタとアリゾナの州境にある小さな町コロラドシティから、17歳になる1人の少女がカナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の国境にあるクレストン・ヴァレーへ旅立って行った。一夫多妻制の家庭に育った少女は、なにも知らずに未知の土地へ旅立って、今そこのリーダーである44歳のウィンストン・ブラックモアの妻の1人となっている。

モルモン教徒で多妻婚を実行しているグループは幾つもあるが、最大がコロラドシティのルロン・ジェフを預言者とするグループで、ユタ、アリゾナ、アイダホ、ブリティッシュ・コロンビアに1万2000人の信者がコミュニティをつくっている。90歳のジェフは50人の妻をもち子供の数は数え切れない。死が間近な彼にかわって息子のワレンは50人のジェフの妻を再分配し、内部反体制派の男を破門にして町から追い出そうとすることに忙しいといわれている。コロラドシティにはバスさえないが、彼は自家用ジェットをリースしていて町には専用の飛行場がある。

二番目に大きいのがオーエン・オールレッドをリーダーとするグループでユタとモンタナに拠点をもつ。
その他「キングストンズ(末日キリスト教会)」はソールトレイク・シティをベースにしながら西部七州におよそ千人の会員がいる。リーダーのデイヴィッド・キングストンは1999年、姪に対する近親相姦、性的虐待、10人の新妻、福祉制度の悪用の容疑で逮捕され有罪の判決を受けた。

ジョセフ・ストレンジを預言者とする「ストレンジッツ(イエス・キリスト原教会)」はウィスコンシンを本拠とする2、300人の小セクトで、ストレンジは天使が遣わした預言者であると信じて疑わない。

多妻婚を実践しているコミュニティの少女たちは教育も殆ど受けず男性の洗脳のみを受けて育ち、多くが夫に捨てられて経済的な貧困と虐待のなかで短命な一生を送っているという。子供の多くは自分の父親が誰であるかを知らない。近親結婚の結果身体的な欠陥を持つ子供も多い。キングストンを調査したある医師の報告によると、3人の女性が8人の小頭児を出産しており、殆どは生き延びたが手足が欠けていたり、小人症、性器異常、10未満の知能指数、自閉症などの異常が認められたという。

違法行為と知りつつ地元当局が積極的な対処をしない理由として、秘密主義のために実態を把握することが困難なこと、信仰の自由という壁、それに当局職員のなかに多妻婚のメンバーがいるためだと報じている。また届け出された結婚のみが結婚であって、愛人問題はプライバシーだという根本的議論が存在している。
つまり――愛人問題は不倫や浮気と、程度の違いがあるだけではないか――といわれると話しは簡単でなくなってくる。

現在、アメリカでの一夫多妻主義者の数は5万人から10万人の間と推定されており、その数は年々増え10年間で倍増したともいわれている。大部分がモルモン原理主義者とよばれる一派だが、モスレムや少数のメシアニック・ジューも含まれている。


新聞記事の内容は以上のようなものだが一夫多妻制がもたらす社会の歪みは州の全体像にも反映しており、ユタ州に関しては興味深い統計が多い。ユタ州では離婚率、10代女性の自殺率が全米平均より高い。20歳がユタの女性の平均離婚年齢である。ユタでは新生児の半数が10代の母親から生まれ、そのうち7割が婚外私生児だといわれている。自殺はユタ州内での死亡原因の第3位である。児童虐待が多く、殺人による被害者のうち15歳以下の子供が20%で、これは全米平均の5倍である。ソルトレーク市のレイプ被害者数は同規模都市の2倍に達する数字である。

ユタ州の成人肥満率は46%で全米平均19%の2倍以上であるという。これらはなにを意味するか。一夫多妻制と厳しい飲食規律のため、甘党が多いという結果らしい。


モルモン教について

モルモン教の一般的な特徴をあげると、一夫多妻制、選民主義(白人中心主義)、カリスマ・預言主義、秘密儀式主義、共同体意識、裕福な財政、一般信徒による伝道、独立国家志向、世紀末思想、アメリカ中心主義、そして飲食物にかんする厳しい規則等であろう。多かれ少なかれ総ての宗教はこれらの幾つかの要素を持っているものである。正確にいえば宗教団体だけでなく人間の集まるところには濃淡の差はあれ必ずといってよいほどどれかの要素の存在を指摘することができる。

ナチスなどは選民主義の最たるものであるし、KKKは極端な人種差別主義である。フリーメイソンは秘密結社の代表的存在だがメンバーは社会指導層のエリート集団である。死んでも秘密は漏らさないという契りがあるそうだ。「ゴッドファーザー」でみたようにマフィアなども儀式が好きだ。密教は秘密であるところにレゾンデートルがある。ダッチカントリーでみたアーミッシュはモルモンよりも強い共同体意識で結ばれている。

モルモン教会は信徒からの10分の1献金と財テクによる収入で、世界中でもっとも裕福な教団の一つであるといわれているがこれはモルモン教会に限ったことではい。それ以上金持ちの教団を知っている。アメリカ青年が街頭で呼びかけるのはモルモン教徒であるが、ペアを組んで戸別訪問する女性はモルモン信者ではない。モルモン教徒はアルコール、たばこ、コーヒー、紅茶等を摂取しないというが、オーソドックス・ユダヤ教徒は食べ物にかんしては更にうるさい。アーミッシュは服装や生活用具まで厳しい規律があることはアメリカ紀行で述べた。

イスラム教は5人という数を限って多妻婚を許している。一部のユダヤ教にも一夫多妻制を実践している派があると聞く。かっての日本の密教やラマ教にも乱婚的なものがあった。中米のガイアナに移住し集団自決した「ピープルズ・テンプル」(人民寺院)やテキサス州ウエイコで、「ブランチ・デヴィディアン」が自ら建物に放火し集団自殺をした事件などはすべて強力なカリスマによって導かれた悲劇であった。これらのカルト集団の指導者も多数の妻をもっていたといわれている。日本でも複数の妻や愛人をもった教祖の話はよく聞く。妻といわずに愛人といえば、なにも教祖に限ったことではなく最近まで内外とわず権力あるものはすべてそうであった。

とくにオーム真理教は世紀末思想や独立政府をめざす戦闘的な体質や更には教祖といわれる人物の詐欺・魔術好み、妄想趣味までもモルモン教のそれに似ていて恐ろしいくらいである。

モルモン教の特徴のなかでも選民主義や独立国家、世紀末思想などは時代の変遷とともにいろあせた。人種差別は1978年になってようやく、少なくとも建前の上ではモルモン教会から撤廃された。

モルモン教徒でも一夫一婦制を守っている人は多い。しかしユタ州に関するメディアの関心がいまでも一夫多妻制にあるのはまぎれもない事実である。多妻婚とは男の側からみた呼び方であって、妻が複数の男に共有あるいは交換されると社会的には乱婚と呼ぶ。ユタ州の実像から推測されるものは限りなく乱婚に近い。

現状は冒頭、新聞記事が伝えるとおりである。