俳句はいくつ作れるか


明日から入梅だというある土曜日の昼間、めずらしくまじめにテレビを見た。タイトルは「芭蕉の苦悩と決断 そして恋 〜終焉の地:大阪で何があったか?〜」 
寿貞という芭蕉の愛人に古手川裕子が扮するという必見の番組である。結びに「俳句は世界で最も短い文学である」というメッセージがあった。

その命題について以前から考えていたことがある。文学とはなんぞやと考えたこともないが、「文学に一定の文字数が必要であるか」という枝葉末節の議論には興味があった。『日本でいちばん短い手紙』には俳句よりも短い、感動的な文もある。歴史上の人物の格言にも文学的に味わいのある表現がある。また、論語には俳句なみに短い言葉が多い。それらは文学であるか――という難しい議論はさておいて、「作品数が有限であるもの、創作がいずれは行き詰まりになるようなものは芸術ではない」という命題は魅力的である。

要するに、17文字の作品はいつか、偶然に過去の作者の著作権を犯すことになる。時間が経過するにつれその確率はたかまる。重複を避けようとすると、最後に残された100句に挑戦する者は、PCを駆使して最善の17文字の組合せを選ぶことが最大関心事となって、そこにはもはや文学の芸術性など存在しない、というのが主旨である。

そこに至る時間が太陽の冷却ほどに長ければ今、俳句の文学性を否定する必要はない。また、重複の確率が今の時点で、他の恒星が太陽系に衝突するほどに希薄であれば、これも心配することはなかろう。高校でならった数学の知識で、計算してみたいと思っていた。

その前に、この問題にとりつかれていたころ夢に見た奇妙な体験を紹介したい。
ある言語学者(以下K氏)が深い森に迷い込み、平和に生活する未開部族に遭遇した。
彼は快く受け入れられ生活するうちに重大な発見をする。
彼らが話す言葉は5つの音しか使っていなかった。それは日本語のあ、い、う、え、おに相当する。
つまり、彼らには子音がなく、言葉は以下がすべてだった。(日本でもなじみある言葉を赤書きした)

あ、い、う、え、お
(5)

ああ、あい、あう、あえ、あお
いあ、
いい、いう、いえ、いお
うあ、
うい、うう、うえ、うお
えあ、
えい、えう、ええ、えお
おあ、
おい、おう、おえ、おお
(5x5=25)

あああ、ああい、ああう、ああえ、ああお
あいあ、あいい、あいう、あいえ、あいお
あうあ、あうい、あうう、あうえ、あうお
あえあ、あえい、あえう、あええ、あえお
あおあ、
あおい、あおう、あおえ、あおお
いああ、
いあいいあう、いあえ、いあお
いいあ、いいい、いいう、
いいえ、いいお
いうあ、いうい、いうう、いうえ、いうお
いえあ、
いえい、いえう、いええ、いえお
いおあ、
いおいいおう、いおえ、いおお
うああ、うあい、うあう、うあえ、うあお
ういあ、ういい、ういう、ういえ、ういお
ううあ、ううい、ううう、ううえ、ううお
うえあ、うえい、うえう、うええ、うえお
うおあ、うおい、うおう、うおえ、うおお
えああ、えあい、えあう、えあえ、えあお
えいあ、
えいい、えいう、えいえ、えいお
えうあ、えうい、えうう、えうえ、えうお
ええあ、
ええい、ええう、えええ、ええお
えおあ、
えおい、えおう、えおえ、えおお
おああ、
おあい、おあう、おあえ、おあお
おいあ、おいい、おいう、
おいえ、おいお
おうあ、おうい、
おううおうえ、おうお
おえあ、おえい、おえう、おええ、おえお
おおあ、
おおいおおう、おおえ、おおお
(5x5x5=125)

ああああ、あああい、あああう、あああえ、あああお
ああいあ、ああいい、ああいう、ああいえ、ああいお
ああうあ、ああうい、ああうう、ああうえ、ああうお
ああえあ、ああえい、ああえう、ああええ、ああえお
ああおあ、ああおい、ああおう、ああおえ、ああおお
あいああ、あいあい、あいあう、あいあえ、あいあお
あいいあ、あいいい、あいいう、あいいえ、あいいお
あいうあ、あいうい、あいうう、あいうえ、あいうお
あいえあ、あいえい、あいえう、あいええ、あいえお
あいおあ、あいおい、あいおう、あいおえ、あいおお
あうああ、あうあい、あうあう、あうあえ、あうあお
あういあ、あういい、あういう、あういえ、あういお
あううあ、あううい、あううう、あううえ、あううお
あうえあ、あうえい、あうえう、あうええ、あうえお
あうおあ、あうおい、あうおう、あうおえ、あうおお
あえああ、あえあい、あえあう、あえあえ、あえあお
あえいあ、あえいい、あえいう、あえいえ、あえいお
あえうあ、あえうい、あえうう、あえうえ、あえうお
あええあ、あええい、あええう、あえええ、あええお
あえおあ、あえおい、あえおう、あえおえ、あえおお
あおああ、あおあい、あおあう、あおあえ、あおあお
あおいあ、あおいい、あおいう、あおいえ、あおいお
あおうあ、あおうい、あおうう、あおうえ、あおうお
あおえあ、あおえい、あおえう、あおええ、あおえお
あおおあ、あおおい、あおおう、あおおえ、あおおお
いあああ、いああい、いああう、いああえ、いああお
いあいあ、いあいい、いあいう、いあいえ、いあいお
いあうあ、いあうい、いあうう、いあうえ、いあうお
いあえあ、いあえい、いあえう、いあええ、いあえお
いあおあ、いあおい、いあおう、いあおえ、いあおお
いいxx
いうxx
いえxx
いおxx
うあxx
ういxx
うえxx
うおxx
えあxx
えいxx
えうxx
ええxx
えおxx
おあxx
おいxx
おうxx
おえxx
おおxx
(5x5x5x5=625)

あああああ、ああああい、ああああう、ああああえ、ああああお
あああいあ、あああいい、あああいう、あああいえ、あああいお
あああうあ、あああうい、あああうう、あああうえ、あああうお
あああえあ、あああえい、あああえう、あああええ、あああえお
あああおあ、あああおい、あああおう、あああおえ、あああおお
ああいああ、ああいあい、ああいあう、ああいあえ、ああいあお
ああいいあ、ああいいい、ああいいう、ああいいえ、ああいいお
ああいうあ、ああいうい、ああいうう、ああいうえ、ああいうお
ああいえあ、ああいえい、ああいえう、ああいええ、ああいえお
ああいおあ、ああいおい、ああいおう、ああいおえ、ああいおお
ああうxx
ああえxx
ああおxx
あいあxx
あいいxx
あいうxx
あいえxx
あいおxx
中略
おおあxx
おおいxx
おおうxx
おおえxx
おおおxx
(5x5x5x5x5=3125)

彼らの言葉の総数は 5+5+5+5+5=3905だった。しかしこれは計算上の可能総数で、実際これだけの単語が使われているわけではない。とくに最後の5音からなる単語はほとんど認められなかった。つまり1音ないし4音からなる1000近くの単語の組み合わせだけで会話はなっていたのである。

ある日K氏は彼らが楽しそうにある種の言葉遊びをしているのに気づいた。聞いてみると3音である意味を表現するのだという。3音の組み合わせといえば上の灰色の表にある125通り(5)しかない。これは日本文学の俳句ではないかとK氏は直感した。しかし、これでは2度と同じ表現をしてはならないというルールを決めれば125回遊べば終わってしまうではないか。それでどこが面白いのか。

ところで、125は3音の組み合わせの総数で、3音で表現される言葉の総数ではないことに注意しなければならない。例えば、「あおい」と発音された言葉は「あおい」という1語か、「あ」「お」「い」の3語からなるある表現か、「あ」と「おい」という2語熟語か、あるいは「あおい」という同音異義語であるかもしれない。したがって言葉の総数は125に3音で表現される言葉の組み合わせの数だけ掛け合わせなければならない。
以下の4通りが3音のパターンのすべてである(同音異義語を除く)。

1+1+1:あ+お+い このパターンには5x5x5の125通りの表現がある。
1+2:あ+おい    このパターンには5x25の125通りの表現がある。
2+1:あお+い    このパターンには25x5の125通りの表現がある。
3:あおい       このパターンには5の125通りの表現がある。

観察を続けている間に更に貴重な発見をする。彼らは文字をもたなかった。彼らの「俳句」が同じかどうかの記録は彼らの記憶のなかにしかない。限られた言語の文化で、言葉遊びを持ちたいという本能は長年の間に脳の一部に逆進化を起こさせていったのである。彼らの記憶領域のなかで、言語に関する部分だけが退化していったのであろう。彼らは昨日話した言葉を覚えていなかった。そのおかげで彼らは日々新たに言葉遊びを楽しむことができた。彼らは125でなくて1日にその4倍の500句も作ることができる。これだけあれば十分だろう。

さて、K氏の考察は最終段階を迎える。彼らの遊びは文学でありうるか?
文学でないとすれば、世界でもっとも短い文学といわれる日本の俳句と彼らの俳句の境界はどこか?
1年にわたる彼らとの幸せな生活を終えて帰ってきたK氏は日本の俳句を数えることに没頭する。

さて、はじめてみると日本文学は文字をもたない彼らの場合とは比べ物にならないほど複雑であることがわかった。2つのアプローチをとることにした。1番目のアプローチはあくまで音を基本として理屈を組み立てていく。機械的でわかりやすく網羅的である反面、文字や意味を無視しべらぼうな数になりそうな予感がする。2つ目は言葉・単語を基礎におく。現実的だが恣意的になる危険がある。とにかく始めよう。

日本語の音を数える。漢字やカタカナのことは忘れてすべて平仮名で書かれたものとする。平仮名であらわす音は、「ん」を含めて清音48、濁音18、半濁音5、清拗音(きゃ、きゅ、きょ等)21、濁拗音(ぎゃ、ぎゅ、ぎょ等)9、半濁拗音(ぴゃ、ぴゅ、ぴょ)3で、合計104ある。104の音から17の音を並べる組合せ(重複順列)の総数は104の17乗で、195に0を32個並べた数になる。

短歌の上の句も含めて
万葉の時代から1500年、3000万人の人が毎日1句つくってきたとすると、今までに16兆4250億の句がつくられてきたことになるが、これは195溝に比べれば無視できるほどに小さい。これからも同じペースでつくっていってもまだ24穣(10の28乗)年以上ある。48の清音だけに限っても4600垓(兆の億倍)年を越える。

勿論これは数字の遊びの範疇をでないもので、たとえば「あ」を17個並べても俳句にはならない。しかも俳句には5−7−5という型があって、17並べればよいというものでない。したがって104音から5音を選ぶ重複順列と7音の重複順列と再び5音を並べる重複順列を掛け合わせたものが俳句の基礎数として求められる。ある種の最大数である。

104x104x 104=10417=195x1032

なんのことはない。104の音から17の音を並べる重複順列の数とおなじになった。5−7−5に区切ったのは、単に17音の5つめと12音目のつぎにスペースをいれただけで、音の並び方に何の制約も加えていないからである。

単なる音の羅列から、なんらかの意味のある言葉をベースに考え直してみたい。104音をつかっていくつの単語がつくられたか。『広辞苑 第五版』や『大辞林 第二版』をみると収録項目数は約23万語であった。しかし動詞は基本形しかでていない。文法でならったように音ベースでかぞえるときはその5倍にする必要がある。
走る:はしら、はしり、はしる、はしれ、はしろ

他方で、熟語や合成語が多い。これらは2つや3つの基本語に分解して語数を減らすことができる。

相生、相生挿し、相生獅子、相生の松、相生盆、相生結び;挿し、獅子、の、松、盆、結び(12語)
これを相生、挿し、獅子、の、松、盆、結び の7語と数え、あとは組み合わせの問題に任せる。

音ベースの最大の弱点は同音異義語をとらえられないことである。辞書を見るとその数が実に多い。
建治、検事、堅持、健二、顕示、憲次、賢治、健治、健司、健児、謙二、憲司、健次、・・・
ああ、いやになる。俳句ではどう扱かうべきか。
1.「けんじさん ああけんじさん けんじさん」  多分私へのよびかけ(3語)
2.「建治さん ああ健次さん 憲司さん」     八方美人の場合(5語)
3.「検事さん ああ検事さん 検事さん」     被告の場合(3語)

増える要素と減る要素とがある。どうやら23万語よりはずっと多そうだ。山勘で、用いられている単語の総数は23万語の5倍の100万語をこえるのではないか。

それらは夫々、1音節語、2音節語、3音節語および4音節語の言葉からなっているとしよう。104の音で言葉がどのくらい作れるかを数えてみる(計算上、104を100に略する)。
1音節語は同音異義語をふくめて100の2倍の200としておこう。2音節語は100の2乗の1万に同音異義語や活用形等を考慮して5倍した5万とする。同様にして、3音節の重複順列自体は100の100万、4音節が100の1億となる。

ところで、言葉として意味のある語句数は音の組合せが多くなるほど少なくなる。例えば4音節語が1億もあるとは思えない。従って意味のある語句としては思い切って、
3音節語も4音節語もそれぞれ活用形や同音異義語も考慮して10万の5倍の50万語だと仮定する。合計で広辞苑等の約5倍の1,050,200語となった。

ここで俳句の音のパターンにもどる。5音使っての単語の並べ方と7音の場合のそれが幾通りあるものかを考えてみる。
音数の並べ方(合計5音) 左記の音数の並べ方に則した単語の並べ方の数
1+1+1+1+1=5 200x200x200x200x200=32x1010=3,200億
1+1+1+2=5 200x200x200x50,000=40x1010=4,000億
1+1+2+1=5 200x200x50,000x200=40x1010=4,000億
1+1+3=5 (目 は 泪) 200x200x500,000=2x1010=200億
1+4=5 200x500,000=1x108=1億
2+1+1+1=5 50,000x200x200x200x=40x1010=4,000億
2+1+2=5 (水 の おと) 50,000x200x50,000=50x1010=5,000億
2+2+1=5 (行く 春 や) (する 人 ぞ) 50,000x50,000x200x=50x1010=5,000億
2+3=5 (秋 深き) 50,000x500,000=25x109=250億
3+1+1=5 500,000x200x200=2x1010=200億
3+2=5 500,000x50,000=25x109=250億
4+1=5 (ふるいけ や) 500,000x200=1x108=1億
合計 12通り 合計 26,102億=2.6兆

音数の並べ方(合計7音) 左記の音数の並べ方に則した単語の並べ方の数
1+1+1+1+1+1+1=7 200x200x200x200x200x200x200=128x1014=12,800兆
1+1+1+1+1+2=7 200x200x200x200x200x50,000=160x1014=16,000兆
1+1+1+1+2+1=7 200x200x200x200x50,000x200=160x1014=16,000兆
1+1+1+1+3=7 200x200x200x200x500,000=8x1014=800兆
1+1+1+2+1+1=7 200x200x200x50,000x200x200=160x1014=16,000兆
1+1+1+2+2=7 200x200x200x50,000x50,000=200x1014=20,000兆
1+1+1+3+1=7 200x200x200x500,000x200=8x1014=800兆
1+1+1+4=7 200x200x200x500,000=4x1012=4兆 
1+1+2+1+1+1=7 200x200x50,000x200x200x200=160x1014=16,000兆
1+1+2+1+2=7 200x200x50,000x200x50,000=200x1014=20,000兆
1+1+2+2+1=7 200x200x50,000x50,000x200=200x1014=20,000兆
1+1+2+3=7 200x200x50,000x500,000=10x1014=1,000兆
1+1+3+1+1=7 200x200x500,000x200x200=8x1014=800兆
1+1+3+2=7 200x200x500,000x50,000=10x1014=1,000兆
1+1+4+1=7 200x200x500,000x200=4x1012=4兆 
1+2+1+1+1+1=7 200x50,000x200x200x200x200=160x1014=16,000兆
1+2+1+1+2=7 200x50,000x200x200x50,000=200x1014=20,000兆
1+2+1+2+1=7 200x50,000x200x50,000x200=200x1014=20,000兆
1+2+1+3=7 200x50,000x200x500,000=10x1014=1,000兆
1+2+2+1+1=7 200x50,000x50,000x200x200=200x1014=20,000兆
1+2+2+2=7 200x50,000x50,000x50,000=250x1014=25,000兆
1+2+3+1=7 200x50,000x500,000x200=10x1014=1,000兆
1+2+4=7 200x50,000x500,000=5x1012=5兆
1+3+1+1+1=7 200x500,000x200x200x200=8x1014=800兆
1+3+1+2=7 200x500,000x200x50,000=10x1014=1,000兆
1+3+2+1=7 200x500,000x50,000x200=10x1014=1,000兆
1+3+3=7 200x500,000x500,000=50x1012=50兆
1+4+1+1=7 200x500,000x200x200=4x1012=4兆
1+4+2=7 200x500,000x50,000=5x1012=5兆
2+1+1+1+1+1=7 50,000x200x200x200x200x200=160x1014=16,000兆
2+1+1+1+2=7 50,000x200x200x200x50,000=200x1014=20,000兆
2+1+1+2+1=7 50,000x200x200x50,000x200=200x1014=20,000兆
2+1+1+3=7 50,000x200x200x500,000=10x1014=1,000兆
2+1+2+1+1=7 50,000x200x50,000x200x200=200x1014=20,000兆
2+1+2+2=7 50,000x200x50,000x50,000=250x1014=25,000兆
2+1+3+1=7 50,000x200x500,000x200=10x1014=1,000兆
2+1+4=7 50,000x200x500,000=5x1012=5兆
2+2+1+1+1=7 50,000x50,000x200x200x200=200x1014=20,000兆
2+2+1+2=7 50,000x50,000x200x50,000=250x1014=25,000兆
2+2+2+1=7 (鳥 啼き 魚 の) 50,000x50,000x50,000x200=250x1014=25,000兆
2+2+3=7 50,000x50,000x500,000=1250x1012=1,250兆
2+3+1+1=7 50,000x500,000x200x200=10x1014=1,000兆
2+3+2=7 50,000x500,000x50,000=1250x1012=1,250兆
2+4+1=7 50,000x500,000x200=5x1012=5兆
3+1+1+1+1=7 500,000x200x200x200x200=8x1014=800兆
3+1+1+2=7 500,000x200x200x50,000=10x1014=1,000兆
3+1+2+1=7 (隣 は 何 を) 500,000x200x50,000x200=10x1014=1,000兆
3+1+3=7 500,000x200x500,000=50x1012=50兆
3+2+1+1=7 500,000x50,000x200x200=10x1014=1,000兆
3+2+2=7 500,000x50,000x50,000=1250x1012=1,250兆
3+3+1=7 500,000x500,000x200=50x1012=50兆
3+4=7 (蛙 とびこむ) 500,000x500,000=25x1010=2,500億
4+1+1+1=7 500,000x200x200x200=4x1012=4兆
4+1+2=7 500,000x200x50,000=5x1012=5兆
4+2+1=7 500,000x50,000x200=5x1012=5兆
4+3=7 500,000x500,000=25x1010=2,500億
合計 56通り 合計 428,746.5兆

これで材料はととのった。5−7−5での言葉の並べ方の総数は下記のようになり、機械的に音数だけで計算した場合に比べて劇的に減った。

2.6 x 428,746.5 x 2.6 = 289京8326兆 = 289x1016

既に16兆の俳句が作られてきた。上の数字から16兆を差し引いてもたいしたことはない。これから引き続き3000万人の人が毎日1句つくっていくとすると何年もつか。

2.6*428746.5*2.6*1,000,000,000,000/30,000,000/365=264,687,337

答えは2億6500万年弱とでた。さて、これは永いのか短いのか。価値判断の問題となる。
宇宙が生まれて120億年、地球の誕生から46億年、人類の出現から600万年、文字の発明から4500年。永くも思えるし短くもみえる。直接的には日本人、または日本文化の滅亡が2億年以内に起こるか否かだけを考えておけばいいのではないか。そして現実的には、今(21世紀から次のミレニアムまで)は俳句の文学性を疑う必要はないということも明らかであろう。

日本人の4分の1でなくて老若男女すべてが毎日10句つくるとすれば・・・
上の年数を40で割ると700万年弱にまで短縮される。人類が出てから今までの時間に大差ない。にわかに現実味を帯びてきた。

世界の人口は21世紀の半ばには100億に達するという。そのすべてが毎日10句作ったら・・・8万年で作りつくしてしまう。おい、おい・・・。でも大丈夫。彼らがすべて日本語でつくったらとしたらの話。彼らの言葉でつくったなら、その分、言葉の組み合わせの方がはるかに増大するので、心配はまったく要らない。なにをもって同じ句だというかについてはすこしだけ考えてみた。

2.6*428746.5*2.6*1,000,000,000,000/120,000,000/365/10=6,617183
2.6*428746.5*2.6*1,000,000,000,000/10,000,000,000/365/10=79,406


補遺
本件考察の過程で行き当たった未解決問題について:
1 ― 俳句の同一性 ―

例1:
先述の「けんじ」の3句はあきらかに異なる。しかし、句会で短冊に書かれることなく、ただ読み上げられたとき句会の参加者はどう反応するだろうかと考えた。首をかしげる人、笑い出す人、顔をしかめる人、軽蔑する人、わかったような振りをする人・・・「誰のこと?」と訊ねる人は勇気ある人。

例2:
古池や・・・
ふるいけや・・・
フルイケヤ・・・
xx pond・・・

以上の句は同じか別か。盗作か創作か。著作権で問題となる。
最初の3つは同じであろう。「雨にも負けず・・・」と「雨ニモマケズ・・・」は同一の詩である。
つまり俳句を数えるとき、文字の問題は捨ててよかった。その帰結としてついでに言えば、俳句は「17文字の文学」ではなく、あくまで「17音の文学」というべきであろう。

英語の句は芭蕉の句とは別物であろうと思う。つまり英語の芭蕉句は芭蕉の句ではない。「pond」と「いけ」は別の言葉である。翻訳という創作である。たとえ芭蕉自身が英語版を残しておいたとしてもそれは別の句であろう。さらにいえば、英語の俳句を発音して、5−7−5の音型に入らないような作品は俳句でなくて単なる自由短詩である。俳句と称する英語の短い詩を見かけるたびに、どんなものだろうと思う。俳句は日本語でしかなりたたない文学形式ではなかろうか。

2 ― 季語のこと ―

俳句には季語を入れよと教わった。一方で俳句は季語という制約から開放されるべきと主張する人たちがいることも知っている。すくなくとも、2万以上ともいわれる季語が語句の組み合わせの数を著しく減少させていることには間違いない。それがどれほどであるのか、機会があれば数えてみたい。もしかすれば文学性を云々しなければならないくらいに俳句の寿命を縮める要素になっているかもしれない。

資料:日本の数詞
10の68乗 無量大数 むりょうだいすう   10の−1乗
10の64乗 不可思議 ふかしぎ   10の−2乗 りん
10の60乗 那由他 なゆた   10の−3乗 もう
10の56乗 阿僧祇 あそうぎ   10の−4乗
10の52乗 恒河沙 ごうがしゃ   10の−5乗 こつ
10の48乗 ごく   10の−6乗
10の44乗 さい   10の−7乗 せん
10の40乗 せい   10の−8乗
10の36乗 かん   10の−9乗 じん
10の32乗 こう   10の−10乗 あい
10の28乗 じょう   10の−11乗 びょう
10の24乗 じょ   10の−12乗 ばく
10の20乗 がい   10の−13乗 模糊 もこ
10の16乗 けい   10の−14乗 逡巡 しゅんじゅん
10の12乗 ちょう   10の−15乗 須臾 しゅゆ
10の8乗 おく   10の−16乗 瞬息 しゅんそく
10の4乗 まん   10の−17乗 弾指 だんし
10の3乗 せん   10の−18乗 刹那 せつな
10の2乗 ひゃく   10の−19乗 六徳 りくとく
10の1乗 じゅう   10の−20乗 空虚 くうきょ
10の0乗 いち   10の−21乗 清浄 しょうじょう