地下鉄の話

地下鉄をニューヨークでは「サブウェイ」、パリでは「メトロ」、ロンドンでは「アンダーグラウンド」または「チューブ」という。メトロにはヨーロッパ旅行の時、二度ほど乗っただけで詳しくはないが車両や駅が清潔であったことだけは記憶にある。文字が読めないのでキップの自動販売機にはてこずった。パリは世界の観光地であるにも拘らず英語を併記しようとしない。日本は駅名だけはローマ字が併記されているが外人にとっての使い勝手はパリとよく似たものであろう。

ニューヨークのサブウェイは永年悪名高かった。車両は汚い上に故障が多く、駅は照明が暗く小さな駅は無人で、犯罪が多かった。座席は冷たいステンレス製の平らなベンチのように味気無い。車両の汚れは内部よりも外にある。もともと錆びた鉄板を、何度もペンキで塗り替えたうえに原色のスプレーで落書きされた姿は汚いというよりグロテスクであった。それがトンネルから現われるとジャングルから顔までカモフラージュした迷彩服の兵隊が突然飛び出してくる感じがする。

操車場では毎日たわしでこすり洗っているようだが完全には落ちない。落書きの色が薄くなったころにはまた新作が発表される。落書きは子供のするような支離滅裂なものでなく、なんとなく書体が共通しているのがふしぎである。落書きの常習犯は限られた数の大人なのか、スプレーで描くとだれでもあのようなサイケデリックなデザインになるのか、あるいは落書きにも一定の基本パターンがあるのか。

20年たって遂に東京にもこの流行が輸入されたことをあるテレビが伝えていた。そこでみた落書きは日本語であるのにニューヨークのそれに似通っているのに驚いたものである。世界的な共通性をもっているようだ。

1980年代のはじめ、市交通局はそのいたちごっこに業を煮やし、ニューヨークの名誉をかけて大改革に乗り出した。私の利用していたレキシントンラインがまずその対象となって、ある日まあたらしい車両が登場したのでる。日本から輸入したもので徐々にニューヨークの総ての車両がこの最新式に変わる予定だという。大量受注したのは川崎車両だったと思う。車体はジュラルミン製でそれまで轟音を立ててホームに入ってきたのが嘘のようにいかにも軽やかで静かに入ってきた。ドアがしまるチャイムの音まで軽やかだった。それまで冷房が効くか効かないかは乗ってみないと判らなかったが、こんどは間違いなく全車両冷暖房完備である。

座席にも変化があった。1枚ものの平板でなく1人の尻がおさまるように窪みが設けられている。ある日私の隣に座った体格のよい男性と視線があって、私は控えめにこの日本製車両を自慢した。「きれいだろう」、「静かだろう」という私の言葉に「ワンダフル」とお世辞をのべたが、その後に「席が小さすぎる」と1つの苦情を忘れなかった。私には十分すぎるスペースであったが、アメリカ人のLLサイズまでは日本の車両メーカーも思いが及ばなかったか。彼は座席の窪みと窪みの間の土手に尻の割れ目をのせざるを得ず、結局2人分の席をとるしかなかった。座りごこちはよくなかったろう。

日本国内用の車両をそのまま輸出した訳ではないと思うが、日本人の繊細さがアダになった1つの例である。人種のるつぼといわれるアメリカ人の尻の幅は平均値のみならず標準偏差も日本人のそれよりはるかに大きいことを計算に入れていなかったのかどうか。

ニューヨークの地下鉄では駅のプラーットフォームに、駅員はいなくても大柄の警官を必ず見かける。通常一人ではなくペアを組んでいる。時々車中にも乗り込んできて一瞬なにか自分が悪いことでもしたのかと身構えることがあった。彼らはスリや痴漢を見張っているのではない。互いに体をくっつけることがないアメリカではそのような狭苦しい犯罪はおこらない。車中で麻薬を取引していないか、誰か凄みをきかせて金を奪う者がいないか、あるいは訳もなく突然ピストルを抜いて発砲する狂人がいないか等を監視しているのである。

ある日ロングアイランドを走っている通勤電車でそのようなピストル乱射事件が起き、数人が犠牲になるという惨事になった。もっと身近にも発砲事件があって、ある朝ニュージャージーに住んでいた私の同僚とその上司が同じ車両で出勤する時、1人の男が急にピストルを発射したという。2人とも無事出社した。私の同僚は、上司を顧みることなく素早く反対方向に逃れた自分の敏捷性をひとしきり自慢していた。

プラットフォームの端の方は全く暗く、人気もない。レイプやホールドアップは日常茶飯事であった。車両がきれいになると同時に、警官の大量増員や赤いベレー帽をかぶったガーディアン・エンジェルスの出現で、その後治安も大幅に改善されたと聞く。それにはウォール・ストリートの好況も背景にあった。

ガーディアン・エンジェルスは1978年、2人の少年が赤いベレー帽をかぶってニューヨークで最も治安の悪いとされてきた4番地下鉄レキシントン・ライン、別名「マガー(追いはぎ)・イクスプレス」の電車に乗り込んだことから始まる。レキシントン・ラインといえば私がグランドセントラルからフルトンまで毎朝乗っていた地下鉄である。

当初は冷ややかな目で見られていた若者有志の犯罪防止活動は、その後仲間を増やし大衆の支持を得てセントラル・パークのパトロールや公共施設の落書き消去、町のクリーンアップにまで活動を広げていった。今では世界的な組織になって、日本にも東京に二本部がある他、大阪、広島、仙台にその輪をひろげて活躍中である。日本ではピンクチラシをは剥がす仕事もしているようでご苦労である。是非暴走族に対抗できる勢力に育っていって欲しい。

ロンドンのアンダーグラウンドはニューヨークの地下鉄よりも更に古い。路線によっても違うが私の通ったリッチモンド・ラインの客室は木造であった。座席は公園の木製ベンチのようである。木の肘掛けまである。故障はかってのニューヨーク並みであったが、駅は明るく治安はよかったように思う。夜遅くても不安は感じなかった。

最近、ロンドンでも老朽化した地下鉄システムを全面改良するプロジェクトが立ち上がったそうで、アドバイザーとしてニューヨーク交通局の責任者に白羽の矢がたったと伝えられた。技術的なことであればニューヨークに聞かなくても地下鉄先進国の日本東京地下鉄営団に聞けばよいのにと思うのだが、ニューヨーク地下鉄の変貌ぶりがそれほど印象的だったということであろう。

今はどうか知らないがロンドンでは落書きを見かけなかったように思う。東京では落書きされた車両は運転しないのだそうだ。いかにも清潔好きの日本人らしい考え方だが、それだけの理由であるかどうか。ニューヨークに輸出された新型日本製車両はジュラルミンのボディに特殊加工がほどこされスプレーをどれほど吹き付けられても水洗いできれいに落ちるそうである。それ以来、自分の作品を発表する機会を失ったニューヨークの落書き芸術家は急速に創作意欲を喪失していったらしい。製造元の東京の車両は水洗いでは落ちないということか。

日本の車両が静かなのとは対照的に、駅構内や車内のアナウンスの騒然さはなんであるか。恐らくアメリカやイギリスであれば公衆迷惑行為として犯罪にちかいと思われる。ホームにきて電車に乗り込むまでの体験を時系列に再現してみるとつぎのようなことになる。

「電車の前と後ろは混み合うからホームの中ほどまでいくように」
「間もなく電車が入ってくる」
「電車が入ってくるので注意するように」
「危険だから白線の内側で待つように」
「待つときは3列に並ぶように」
「駆け込み乗車は危険だからやめるように」
「駆け込み乗車をすると思わぬ事故になることがある」
「電車がとまれば出口を広く開けて待つように」
「開くドアに注意するように」
「空いているドアから乗るように」
「先に乗客を降ろしてから乗るように」
「ドア付近の人はいったん降りて待つように」
「降りる人は前の人に続いて降りるように」
「降りるときは押し合わずに降りるように」
「乗る時は押し合わずに乗るように」
「乗る人は入口に立ち止まらないで奥まで入るように」
「もう少し奥までつめるように」
「もうすぐドアが閉まる」
「閉まるドアに注意するように」
「今ドアは閉まっている」
「閉まるドアに手を挟まれないように」
「手荷物を引くように」
「特に子供連れは注意するように」
「混んでいるときは無理をしないように」
「乗れなかった人は次の電車を待つように」
「次の電車はすぐに来る」
「もうすぐ動く」
「今動く」
「ハッシャア―― ―― ――」

これだけの忠告を20秒ほどの停車時間中に一気にやる。ラッシュ時には1人でなくて数人が集団でこれでもかと言わんばかりにやるのである。異常でなくてなんであろう。まさかサービスと勘違いしているわけではあるまい。
――乗れなかった人は次の電車を待つように――などは全くの余計な世話というものだ。

電車に乗ると今度は車掌と録音テープが「動く。まがる。揺れる。急停車する。信号待ちする。止まる」と、電車の一挙一動を伝えてくる。急停車や信号待ちする度に「申し訳ありませんでした」と深々と侘びを請う。一分も遅れたりすると、一大事かのように「ご迷惑をおかけしましたことを、深くおわび申し上げます」と、不祥事をおこした会社の社長が記者会見するように、弱々しく放送する。誰も1分単位の遅れなど、気付いてもいない。

かと思えば、

「今日は雨だから傘を忘れないように」
「網棚をもう一度確認するように」
「次の出口は右だ。左だ」
と、客を痴呆かのように心配する。

最近になって新作が加わった。
「携帯電話はマナーモードにするように」
「通話は遠慮するように」
「優先席附近では電源を切るように」
と、心配事もきめが細かくなってきた。

毎日大人に向かって電車の車掌が繰り返さねばマナーが身に付かないと思われてもしかたない。神経質な母親が幼稚園児に言っているのではない。20年も50年も生きてきた大人に向って毎日教育しているつもりである。親が中学生の子供にこのようなことを言ったなら即座に「うるさい!くどい!」と一喝されるであろう。

アメリカやロンドンでは勿論こんな子供じみた話はない。路線によっては次の駅さえ言わないところもある。切符の対価として安全に客を運ぶことだけが義務だと考えている。乗ったからにはどこで降りるかくらい自分で注意しろといわんばかりである。

ニューヨーク地下鉄駅では、電車が入ってくるたびに駅員が声高に同じ注意事項を繰り返すかわりに、市交通局の定める規則と罰則規定が掲げられている。そこには「出口を塞がないこと」という項目はあったが、人をせかすような規則はない。
ちなみに規則違反者には25ドル以上100ドル以下の罰金が課せられる。
車内でのルールとして日本で聞かないものに「乞食行為」「販売行為」「他人に迷惑をかけるような居眠り行為」などがあった。

「他人に物を乞わないように」
「物品を売り付けないように」
「大きないびきをかいて眠らないように」

日本でも、通勤電車のなかで3番目のルール違反者に閉口している人は多いのではないか。