遊びに生きる         

好奇心から浅く広く試みた多くの遊びから、いくつかが趣味といえる程度に深まり、好みの変遷を経て50代半ばにはいくつかに絞られてきた。

音楽、クラシック映画、囲碁、DIY、ガーデニング、写真、ホームページ、そして街道歩きである。退職してもこれだけあれば退屈しないだろうと思っていた。蓋をあけてみると退屈どころか絶対的に時間が足りない。最初の4つを後回しにして、とりあえず残り4つを優先することにした。

土いじりがしたくて、狭い草加を脱出して海がみえる房総館山に移った。数年前衝動買いした土地に家だけ建て、あとはアプローチ・門柱・前庭・側庭・裏庭・駐車場・境界等すべてDIYの相手である。セメントは一切使わない主義で、レンガ、ブロックはいつでもはがせるようにしてある。セメントでくっつけなくても自らの重力と土との摩擦力だけで少々の地震には耐えられるし、また大地震の巨大エネルギーは、セメントの有無を問題にしないというのが私の考えだ。自分の気変わりにいつでも応じてくれる柔軟性のほうが重要である。

マイガーデンの基本コンセプトはアメリカ風の開放的な芝生庭である。庭のように美しいオーガスタゴルフ場風といってもよい。孫のための砂場と、虫とメダカのために造ったビオトープはオーガスタCCのバンカーと池のつもりである。それに部分的なイングリッシュガーデンの趣を添える。主役はバラの予定だ。できればどこか一角をスペインパティオ風にしたいとも思っている。塀・垣根は設けず庭石・燈籠はおかない。

裏庭西側は果樹園にあて、食べたい果物の樹を一通りそろえた。アーモンド、葡萄、杏、梅、枇杷、柿、梨、桃、栗、無花果、蜜柑、金柑、ブルーベリー、ラズベリー。隣人の話では収穫の前に殆ど鳥が食べるらしい。カラス以外の鳥なら大歓迎である。残りものをいただこう。甲虫をよぶためにコナラ、ブナの木を植えた。トンボのために支柱を兼ねた竹竿をいくつか立ててある。今は鳥たちがよく止まりに来る。辺りをみわたして、やおらビオトープ小池におりて水を飲んで帰る。いずれ500mm望遠レンズで彼らの写真を撮る計画である。

芝生を随分はったつもりだがまだ土の部分がかなりある。はやく全面を緑でうめるために少々の見苦しくない雑草は許してやろうと思っている。花木は徐々にふやしていくつもりで、いまのところ、桜、モクレン、サルスベリ、ライラック、ツバキ、サザンカ、アジサイ、サンシュユ、クチナシ、ツツジなど。ロスアンジェルスで楽しんだハイビスカスとブーゲンビリアも植えてみたがどうやら寒風でやられたみたい。

写真、街道歩き、ホームページは別々にはじめた趣味だが今やワンセットになっている。一番古い趣味である写真も、かってのようにカメラバッグをさげて撮影のために外出することはなくなった。インターネット上のホームページは世紀がかわるころ自分の歴史を整理するつもりではじめたものだが、これも変質して、今は街道歩きで撮った写真のアルバムと旅行記の記録媒体として維持している。ブログや掲示板を併設した時期もあったが、他人の書き込みが重荷になってきて止めた。


街道歩きの原点は大学時代、20日間600kmの中山道を歩いたことにある。司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んで、そのすべてを自分も歩きたいと思ったのが決定的だった。5年前、深川から奥の細道を歩き出したのが街道歩き再開の第一歩である。千住からの道のりは奥州街道・日光街道と重なっていて、一粒で三度おいしい味をあじわって調子よくはじまった。以来、踏破した大街道は水戸街道、岩城相馬街道、日光街道、甲州街道。奥の細道は北限平泉まで、最長の奥州街道は仙台まで、直近の東海道は静岡まででいずれも長期計画である。そのほか歩いた中小街道は関東を中心にいろいろある。日本海側は手付かずで、奥の細道の出羽越えを待って一気に秋田から福井まで駆け抜けようかと思っている。

街道は原則として旧道(多くは旧国道)をゆくことにしている。時には江戸時代の古道が残っていて、山中の獣道をゆくこともある。最近熊が出没するニュースをよく聞くようになってからは車の通らない峠道を歩くのが極端に怖くなってきた。

沿道には著名な温泉地や地方特産のグルメ旅館があったりするが、妻同伴の特別記念旅行でないかぎりそういう場所に入ることはない。泊まるのは「一室いくら」のビジネスホテルで、もっぱら不祥事を起こした東横インを愛用している。食事は近くの定食屋ですますか、コンビニで弁当つまみビールを買い込んで部屋でテレビをみながら食べる。食費、宿泊費、入場料、移動費などで1日1万円でおつりがくる程度になる。2,3ヶ所ホテルを移って、1週間で草加に帰るパターンが定着してきた。

デジカメが登場してから写真の撮り方がガラリと変わった。昔は怖いもののようにフィルムを使った。1日36枚撮り1本も使えば撮りすぎた気になったものだ。あとの現像、引き伸ばし代を考えればそれ以上は撮れない。今は説明板や町名標識もメモ代わりに撮る。1ギガFMでおよそ800枚撮れ、それを2個携えていく。1週間で2個使い果たす。1600枚の写真が記録されていて、それを整理編集するのに1週間かかる。150枚ほどを選んでホームページの写真集に載せる。風景が主だがときどき花や犬猫、人のスナップ写真もまじっている。

写真集ができあがったところで、準備資料をもとに旅行記を書き上げホームページの「日本紀行」にアップする。ホームページ「いこいの広場」のサブページの中で「日本紀行」はもっともアクセスが多く、グーグルで「日本紀行」を検索すると一番目に、ヤフーでは2番目にでてくる。

旅の完成を酒で祝った後しばらくは館山で、昼は庭いじりを楽しみ夜は翌月の旅の下準備にあてる。これで一ヶ月のサイクルが終わる。これを繰り返している。

70歳までに主だった街道を踏破するのが当面の目標である。距離にしておよそ1万キロになる。体がゆるす限り旅は続けるつもりである。旅に出なくなれば時間がたっぷりできてくる。それからは音楽と映画と本と囲碁が相手をしてくれるであろう。あゝ、その時は小さな柴犬がいるはずだ。なにもかもわすれて毎日一日中小犬と遊んでいるかもしれない。