ある句評

以下は私が54歳になった4月の、ある土曜日の日経夕刊に載った句評である。めったに文藝欄は読まないのだが妙にこの句評は私の心を捉えた。同じ年代の視点に反射的な共感を覚えたのであろう。柄にもなく思いをめぐらせてしまった。


 
  
菫程な小さき人に生まれたし 夏目漱石

「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にもなれたらう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。 これは驚くべき事実である。」

小林秀雄は「様々なる意匠」にそう書いた。「彼以外のもの」とはむろん比喩で、人はけっきょく自身の資質や器量に逆らえないということだろう。二十代後半の文章だが、あたりまえの「事実」に驚いてみせるところに、いかにも早熟な秀才青年の面目がある。
世間一般の人は、ふつう自分の資質にあった道を選ぼうとするもので、そもそも「彼以外のもの」になろうとはおもわない。ときにいくらか高望みをして、その夢がむなしく破れたとしても、しょせん自分の器量だとわかるから、だれも驚いたりしない。それでも青春という時代は、みな多かれ少なかれ自分の才能を過大評価する。
漱石の句は、驚いてみせる代わりに、虚構の世界で「彼以外のもの」になりたがっている。明治三十年の作で、漱石はちょうど三十にさしかかった頃だ。 まだロンドンに留学する前で、自分が後に作家になるとも思っていない。 だからこの句は、すでにエリートの宿命が意識されているとしても、とりわけ文豪の述懐として読む必要はない。
三十といえば、人はたとえば子供の親になり、職場ではそろそろ中間管理職につく年齢だ。その責任が重く感じられてくると、ふと心弱りしたときなどに、この句のような思いを抱くことがあるのではないか。
「菫」は清純さの象徴である。 つまり大人にとっては、失ってきたものの象徴に他ならない。「小さき人」とは、また子供に戻りたいという願望でもある。それをピーターパン症候群と呼ぶなら、なにも今日に始まったことでなく、明治の男だって、じつは似たようなものだった。  仁平勝



私はその漱石の年齢からさらに20余年がすぎた。小林秀雄の年にくらべれば30年がたっている。私にも「彼以外のもの」はあった。少年時代は「プロ野球の選手」であり中学・高校時代は「海外特派員」であった。消去法で「銀行員」となった。社会的には平凡なミドルである。現実として受け入れている。別に驚くようなことでもない。

今私には、自分の少年時代に対する限りなき郷愁がある。しかしこれは、責任からの逃避でもなければ失ったものへの執着でもない。50年を過ぎてみて、結局自分は変わっていないという認識からくる自分の原型への愛着であろう。田舎に生れ、大都会に住み、外国文化のなかで生活したあげくが田舎の生活が一番肌にあっているという、故郷への郷愁と本質的に変わらない感情である。鮭が生まれた川に帰るようにもっと根源的な帰巣本能かもしれない。

ふと、他の思いがよぎった。

小林秀雄や仁平勝がそこで言っている「彼以外のもの」とは上昇志向を前提としたもので、下に目をむけたものでない。人の資質や器量にも拘らず「彼以外のもの」に脱落した人々がたくさんいる。麻薬や酒、犯罪などで自ら堕落した人もいれば、病気・貧困・事故・災害などでそうならざるをえなかった不幸な人達がいる。そういう人達に対し、「 驚いている」ような第三者的視点は持ち得ない。その人達が「少年に戻りたい」というとき、それは郷愁といった甘い感傷とは遠くかけはなれた、悲痛な訴えである。

更に、そういう訴えさえ思いに浮かばない人々がいることを忘れてはならない。昨今幼児虐待のニュースが多い。また新潟の少女監禁事件は記憶に新しい。これらの犠牲者は「彼以外のもの」の存在の可能性すら知らずに、暗澹たる地獄の生活を余儀なくされてきた。

一度向日葵を経験したものが菫への回帰を望む郷愁と、生まれてこのかた踏み潰されてきた雑草が、せめて静かに密やかに咲く、小さな菫になってみたいと思う切望との間には、天と地以上の差異がある。

小林秀雄も夏目漱石も仁平勝も、所詮成功者のぜいたくなセンチメンタリズムにすぎない。